車いすテニスの国枝、リオ内定第1号に アジアパラ優勝で“最高峰”へスタート

荒木美晴/MA SPORTS

“世界レベル”の日本人対決

アジアパラ決勝、国枝(左)は世界ランク9位の眞田を破り優勝。2年後のリオパラリンピックの内定を決めた 【写真:伊藤真吾/アフロスポーツ】

 韓国・仁川で行われているアジアパラ競技大会。23日に行われた車いすテニス男子シングルス決勝では、第1シードの国枝慎吾(ユニクロ)が第2シードの眞田卓(埼玉トヨペット)を6−3、6−1で破り優勝した。

 世界ランキング1位の国枝は、初戦の2回戦から準決勝まで、すべての試合で1セットも落とさずに決勝へ進んだ。だが、最後の相手である眞田は世界ランキング9位と、今大会最大の強敵だ。「日本のテニスのレベルはここ4、5年で上がってきていて、“日本人対決=ワールドレベル”ということ。そのなかで勝つことが難しくなってきている」と国枝が言うように、決勝の内容は彼にとってスコアの数字以上に厳しいものになった。

 第1セット序盤、体がキレていたのは眞田。高い集中力で国枝のサーブコースを読み、積極的にネットプレーをしかけてリズムを引き寄せた。互いのサービスゲームをキープする展開になったものの、国枝の調子はなかなか上がらない。第5ゲームをはじめてブレークしたあたりからようやく動きに硬さが取れた国枝は、徐々に反撃を開始。そこから一気にギアをあげて、このセットを奪取した。第2セットは最初のサービスゲームをブレークされた以降は6ゲームを連取し、勝利を決めた。

「サーブのスピンのかかりが良くなかった」。ダブルフォルトを重ね、「途中でスライスサーブに切り替えて修正したが、“サーブしたくないな”と思うほど(悪かった)」と苦笑いを浮かべ、「今日の試合は40点の出来」と厳しく採点した国枝。その一方で、「日本人対決というやりづらい組み合わせだったけれど、勝ち抜けたのは評価できる。優勝できてうれしい」と素直な気持ちを吐露した。

3度目の年間グランドスラムを達成

今季はアジアパラの優勝だけでなく、3度目の年間グランドスラムも達成。抜群の安定感を見せている 【写真:伊藤真吾/アフロスポーツ】

 国枝は今年の世界ツアーで抜群の安定感をみせている。まず1月のメルボルン・オープンで優勝すると、翌週の全豪オープンを2連覇して通算7度目の優勝を飾る。ウィンブルドン(ダブルスのみ)と全仏オープンでも頂点に立った。9月には全米オープンも制し、一年間にグランドスラム大会の4大会をすべて制覇する「年間グランドスラム」を達成する偉業を成し遂げた。2007年、09年に続く3度目の快挙は、テニス界の大きな話題となった。「この2カ月くらいはプレー内容が良くない」と話すが、それでも試合で結果を残しているのはさすがというほかない。

 今、世界のテニスは、車いすの高さを上げて高い打点から打つパワーテニス時代にある。そのなかで、国枝は“スピード勝負”を貫いている。“世界一”と言われるチェアワークで、コートを縦横無尽に駆け巡るのが国枝流だ。「国枝はフォアが良いと評価してもらうことがありますが、彼の一番のベースは“いかに速く走れるか”。実は誰よりも走り、誰よりも多く相手のボールを返している選手なんです」とは、17歳のころから国枝を指導する丸山弘道コーチ。国枝も、「自分はやっぱり走るのが好き。『あ、このボールを取るのか!』というのが自分のテニス」と言い切る。

 そのプレースタイルで、世界の頂点に君臨してきた。加えて昨年末からは、両足を車いすに固定するベルトを取り払い、体幹を使ってより力強いショットを打つ新しい取り組みにも挑戦している。当初は重心の取り方が難しかったが、それをコントロールする筋力をつけた今は、完全に自分のものにしている。持ち味のスピードにパワーが加わり、国枝はさらなる高みに向かっている。

1/2ページ

著者プロフィール

1998年の長野パラリンピック観戦を機に、パラスポーツの取材を開始。より多くの人に魅力を伝えるべく、国内外の大会に足を運び、スポーツ雑誌やWebサイトに寄稿している。パラリンピックはシドニー大会から東京大会まで、夏季・冬季をあわせて11大会を取材。パラスポーツの報道を専門に行う一般社団法人MA SPORTSの代表を務める。

新着記事

スポーツナビからのお知らせ

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント