U−19敗退、瀬戸際で弱い若き日本選手 今こそ抜本的な改革の舵を切るとき

川端暁彦

不可解だったメンバー選考

またしても瀬戸際での勝負弱さが顔をのぞかせた。今こそ日本サッカーが一丸となって、改革に乗り出すときだ 【Getty Images】

 采配の部分にフォーカスするなら、いくつかの問題は指摘されるべきだ。オナイウ阿道の初先発は思い切った決断だったが、そもそもオナイウが初招集で今大会に参加したこと自体が果たしてどうだったのか。高校生だった昨年から呼ぶ機会はいくらでもあったはずだが、招集リストに彼の名前が入ることはなかった。直前のベトナム遠征(9月)にだけ呼ぼうとしてクラブから拒否されたため、「候補を含めた年代別代表初招集が、AFC・U−19選手権の本番」という異例の事態になってしまった。彼のポテンシャルに疑問はないが、チームの戦力としたいなら、ほかにやりようはあったはずだ。

 また左サイドバックは大会前半で坂井大将が、後半で宮原和也が務めたのだが、2人とも本来は別のポジションの選手。サイドバックの1枚を他ポジションもこなせるオールラウンダーに割くのは定石の1つだが、スペシャリストを1人も含めない選択は結果としてネガティブに作用した。適材がいないのであれば仕方ないが、今回のチームには左利きの左サイドバックであり、不動のレギュラーと見られていたDF内田裕斗(ガンバ大阪)がいた。彼の落選は、実際に大会を観ていると、あらためて不可解なことに思えた。

瀬戸際の戦いで顔を出す「弱さ」

 ただ、こうした采配のディテールにフォーカスしてしまうと、問題の本質を見失う。

 過去を振り返れば、U−20W杯へ連続出場を重ねていた時代も楽に勝っていたわけではなかった。「アジアのレベルが上がった」とは単純には言い切れない。東南アジア勢は確かに強くなったし、これからもっと強くなるだろうという感触もあるが、それは今のところ日本の敗退とリンクしていない。

 そして4大会それぞれ内容は異なる一方、すべて準々決勝で敗退しているという共通点はある。「勝てば世界、負けたら解散」という瀬戸際の戦いになって顔を出す「弱さ」について育成から考え直していく必要はあるだろう。ここが勝負というまさにそのゲームで「強さ」を発揮できないからこその連続敗退なのだ。

 1995年大会から2007年大会まで、日本は12年にわたってU−20の世界切符をつかみ続けた。現在のようなアジアサッカー連盟による年齢詐称に対する科学的検査も存在せず、国内の環境整備も追い付いていない時代だ。一方、今回の敗戦で日本は2009年大会から2015年大会までの出場権を連続して喪失することとなった。当時よりはるかに「恵まれた環境」で育ってきた選手たちが、ギリギリの勝負になったときに見せる「弱さ」については、危機感を覚えざるを得ない。

 右肩上がりの高度成長時代は終わり、手探りで強豪への脱皮を図っているのが日本サッカー界の現状だ。少子高齢化という日本社会の現実と合わせて考えると、停滞の先に発展を見いだすことは容易ではない。一時期ギクシャクしていた日本サッカー協会とJリーグの関係性も改善されてきた今こそ、種々の改革に向かって舵を切るときだろう。育成年代のリーグ戦を形として整備したのはいいが、ぬるい試合が増えただけでは意味がない。

 今大会だけに焦点を絞って論じるなら、「もう少しの幸運があれば」ということになるのかもしれない。だが、4大会続いている現象となれば、これは「運」の話ではないだろう。このままでは、アジアでも勝てない時代がやってくる。

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著者プロフィール

1979年8月7日生まれ。大分県中津市出身。フリーライターとして取材活動を始め、2004年10月に創刊したサッカー専門新聞『エル・ゴラッソ』の創刊事業に参画。創刊後は同紙の記者、編集者として活動し、2010年からは3年にわたって編集長を務めた。2013年8月からフリーランスとしての活動を再開。古巣の『エル・ゴラッソ』をはじめ、『スポーツナビ』『サッカーキング』『フットボリスタ』『サッカークリニック』『GOAL』など各種媒体にライターとして寄稿するほか、フリーの編集者としての活動も行っている。近著に『2050年W杯 日本代表優勝プラン』(ソル・メディア)がある

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