オリックスを変えた森脇監督の意識改革 端正なマスクに秘められた勝負への厳しさ

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就任2年目で6年ぶりとなるCS進出を決めた森脇監督。長きに渡って低迷していたチームをどう変えたのだろうか 【写真=BBM】

 総力を結集し最後まで勝利を信じて戦い抜いたが、18年ぶりのリーグ優勝は叶わなかった。しかし、今季、確かに森脇オリックスは変わった。10月2日の福岡ソフトバンク戦の試合終了と同時にグラウンドで泣き崩れた選手たちの姿がすべてを物語っていた。Bクラスが定位置だった選手たちを変えたのは、就任2年目を迎えた森脇浩司監督の意識改革にほかならない。森脇オリックスはもっと、もっと強くなる――。

「監督」とは、先を見る仕事

 2014年9月25日。

 2位ながら、オリックスに優勝マジック「7」が点灯した。埼玉西武との一戦は、互いに初回に1点ずつ。その後は、我慢のしのぎ合い。8回裏無死一、三塁から、4番・ペーニャのレフト前タイムリーが飛び出しての決勝点。重苦しかった空気をぶち破り、仲間たちに向かってその右手を突き上げた主砲に、ベンチのムードが一気に盛り上がった。

 森脇監督も笑顔を浮かべ、両手をポンとたたいた。しかし、その歓喜のポーズは、まさに一瞬だった。沸き返る一塁側ベンチの中で、森脇監督は瞬く間に口を真一文字に結び、再び、厳しい“将の顔”へと、戻っていた。

「僕らの勝負は、過去じゃないからね。目の前の今、そして未来へとつながっているんだから」

「監督」とは、先を見る仕事――。
 リードした。ならば、次の回には何をすべきか。刻々と変わるその状況を踏まえ、今、明日、さらにはその先をにらんで、二手、三手先に備える。

「勝負というのは、僕は『先手必勝』だと思う。もっと早く仕掛けられるよう、立ち後れないよう、気後れしないよう、そういうことを実現するためのマネジメントが必要なんだと思うんだ」

 勢いづくムードの中、その1点をリードした直後の無死一、二塁。森脇監督は5番のT−岡田に送りバントを命じていた。本塁打王にも輝いた実績のある若き主砲にも、犠打を命じる冷静さ。情緒的なそのムードには、決して流されない。それは、森脇監督が長い指導者生活の中で、名将と呼ばれた先人たちのタクトを傍らから見続け、皮膚感覚としてつかんできた“経験則からの信念”だった。

根本陸夫に薫陶を受けた現役時代

 現役時代、放ったヒットは244本。通算打率2割2分3厘の森脇監督は、その卓越した守備力を発揮し、1軍で実働15シーズンという、長きにわたって渋い活躍を続けてきた。しかし、森脇監督が適性をさらに発揮したのは、プレーヤーとしてよりも、むしろ指導者に就いてからのことだった。

「お前は将来、指導者となっていく男だ。だから、俺の話をよく聞いておくんだ」

 若き森脇監督にそう告げたのは「球界の寝業師」と呼ばれ、その人脈と男気、卓越した指導力で誰からも一目を置かれ、西武、福岡ダイエーという常勝球団の礎を築いた根本陸夫だった。
 根本に見込まれた森脇監督は、ダイエーでの現役時代、練習を終えると連日のように根本の部屋に呼ばれ、組織論やマネジメントに関し、その薫陶を受けたという。

 現役引退後、1997年からダイエーの2軍内野守備走塁コーチとして指導者としてのキャリアをスタートさせると、2000年からは、王貞治の“頭脳”として、1軍ヘッドコーチや三塁ベースコーチ、さらには2軍監督と、重要ポジションを歴任してきた。

「レギュラー9人。1軍28人。さらに支配下70人、育成も含めたら大人数だよね。そのおのおのの選手たちが1パーセントでも、2パーセントでも力を上げることができれば、それをチームとして考えると、莫大なアップ率になると思うんだよ。よくプロは『当たり前のことを当たり前にやる』って言うけど、僕はその“当たり前”の項目が、それぞれに違うと思うんだよ。強いチームというのは当たり前の項目が多く、仕方ないと思うところの幅が、非常に狭いんだよ」

 その厳しさ、妥協のない指導ぶりに、王の評価は高かった。2軍監督就任時の03年、森脇監督は43歳だった。その若さを不安視する周囲の声を一掃したのは「森脇に任せておけば、間違いはない」という王のひと言だったという。

 王が胃がんで倒れた06年には、森脇監督が監督代行に指名された。オリックスの監督に就任したとき“初陣”と書かれた新聞を読みながら「俺は“初”じゃないけどな」。指導者として、修羅場をくぐってきた。そうした経験のすべてが、今の“土台”なのだ。

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