“先駆者”クルム伊達が語るプロの矜持 テニス文化をアジアに根付かせるために

内田暁

テニスを“文化”として根付かせるために

アジア人には風当たりの強い中でも戦い続けてきたクルム伊達。写真は1996年のジャパンオープンで優勝した時のもの 【写真:ロイター/アフロ】

 そのようなさまざまな障害とクルム伊達が戦っていた時代から、約25年が経った。25年といえば、“一昔”を二度以上重ねた長き歳月。だが「長いテニスの歴史の中では、20〜30年は短い期間」とクルム伊達は言い、その短期間に「女子テニスはスピードとパワー全盛期になり、テクノロジーも進化した。選手はトレーナーやフィジオ(理学療法士)を連れて歩くようになり、フィジカル的にも大きく変わりました」と分析する。テニスの興りは18世紀と言われ、先述した全米オープンも創設は1881年である。そのような歴史の中では、確かに数十年などは一瞬だ。

 アジア人初のグランドスラム優勝者となったリーの存在、そして中国の経済成長――それらを背景として、テニス界の勢力図やツアーマップは大きく描きかえられた。特に9月〜10月は“アジアシリーズ”と銘打たれ、今年は5週間の期間中に、アジア地域で9つのトーナメントが開催される。15日から東京で開催される東レ・パンパシフィック・オープン、そして10月6日から大阪で開かれるジャパン・ウィメンズオープンも、そのアジアシリーズの一環だ。

 では、そのように世界の目がアジアに向く中で、テニスを“文化”として根付かせていくために、選手たちは、そしてわれわれは何をしていくべきなのだろうか?

「選手がすべきことは、とにかく最後まで、どんな状況であろうと戦い抜くことだと思います。実際にはこれだけ長いツアーにいると、どうしても日によって調子の良し悪しがあるし、相手との相性もあります。それに審判もいれば観客もいて、自分自身との戦いもある。その中で選手は、例え結果が負けようが、あるいは悪い内容であったとしても、ファイトして戦い切ることが一番大切だと思います。

 最近の傾向として試合途中のリタイアが多い気がします。それはどうしようもないこともありますが、基本的には私は、それはプロとしてあってはいけないことではないかと思っています。テニスは対戦相手をリスペクトし、試合が終われば握手するスポーツ。選手がお互いをリスペクトし、最後まで戦い抜く中で筋書きのない物語が生まれ、そこに見る人は感動したり、心を動かされるのだと思います」

タレントがそろう今こそ千載一遇の機会

 選手ができること、すべきこと――それは「最後まで全力で戦い抜くこと」だと、クルム伊達は言う。ただ筋書きのないドラマを生み出すには、それだけでは十分ではない。もちろん、選手がドラマの主役であることは、間違いない。しかし、それが全てというわけでもない。例えばテニスの大会には、トーナメントを運営するディレクターがいて、選手をサポートするスタッフたちもいる。そして試合を見る観客たちもそろうことで、初めて“ドラマ”は成立するのだから。

「選手は全力を尽くしますが、いろいろな条件がそろわないと、パフォーマンスが上がらないという側面もあります。相手が良いプレーをすることも必要になるし、常にベストな試合というのは、なかなかできるものではありません。それはみんなでつくり出すものでもありますし、その結果、感動が生まれるのだと思います」

 今、日本のテニス界には錦織圭(日清食品)というスーパースターがいる。“トップ100で最も小さなプレーヤー”である、奈良くるみもいる。そして既に“レジェンド”の粋に達しつつある、クルム伊達公子がいる。

 今こそが、テニスを文化として根付かせ次代への種を撒く、千載一遇の機会である。

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著者プロフィール

テニス雑誌『スマッシュ』などのメディアに執筆するフリーライター。2006年頃からグランドスラム等の主要大会の取材を始め、08年デルレイビーチ国際選手権での錦織圭ツアー初優勝にも立ち合う。近著に、錦織圭の幼少期からの足跡を綴ったノンフィクション『錦織圭 リターンゲーム』(学研プラス)や、アスリートの肉体及び精神の動きを神経科学(脳科学)の知見から解説する『勝てる脳、負ける脳 一流アスリートの脳内で起きていること』(集英社)がある。京都在住。

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