「限界に挑戦」湘南に脈打つ指揮官の哲学=Jリーグで生きる人々 チョウ・キジェ後編

北條聡

サッカー選手として何が大切なのか

菊地俊介(右)らには「ロシアを目指せ」と発破をかけているという 【写真:アフロスポーツ】

 実際、日々の練習と毎週末の公式戦を通じて、各選手たちには進歩のあとがうかがえる。ポジションに関係なく、走力の質と量は卓越しているが、その中でも1トップの背後につける2シャドーの一角、武富孝介は1試合平均で実に13キロも走るのだという。その数字は1試合の走行距離で世界のトップクラスにあるドルトムントの選手たちと比べても遜色がない。

「もう脱帽ですよ。あんなに走れるFWは、今の日本にいないでしょう。走るスピードも遅いわけじゃないですからね」

 この先のフットボールでは走力やスピードがますます重要になる。4年後のワールドカップ・ロシア大会を目指す日本代表とて、その例外ではない。チョウ監督には長い距離を走って攻守に絡むダイナミックなボランチが必ず必要になる、との見定めがある。だから、永木亮太や菊地俊介らに「ロシアを目指せ」と発破をかけてもいる。現在地に安住すれば、進歩はない。

「ボランチを『バランサー』と呼ぶ時代は終わったよ、と選手たちに言っているんです。今は自陣のゴール前から敵陣のゴール前まで走る時代だと」

 指揮官が降格を恐れ、勝ちに執着し、リスク回避の選択をしていたら、選手たちはどうなっていたか。厳しいゾーンで球を受ける力も、積極的に球を奪う力も身につかなかったのではないか。チャレンジしなければ、選手たちが成功体験を得ることもない。目先の結果にとらわれず、選手たちの成長を促す姿勢は長い間、ユースやジュニアユースで育成に関わってきた指導者らしい。

「僕は技術が足りないから走りなさい、技術が足りないから組織で戦いなさいという考えには違和感がある。サッカー選手である限り、技術、戦術、フィジカル、メンタルなど、あらゆる部分を伸ばさなければいけない。自分はこれしかできない、というのは最終的に先が決まっている場面で使う言葉じゃないかと。選手たちにそう言い続けてきたことが現在につながっていると思う。サッカー選手として何が大切なのか。僕にはそれを伝える義務がある」

指揮官が重要視する「言葉の力」

 2年前(J2)は約60パーセントだったパスの成功率が、現在は約70パーセントを記録するという。ただチョウ監督はそこで満足せず、次は75パーセントを目指せと説く。2年前と比べて縦パスの比率(全体の約70パーセント)は変わっていないが、パスの成功率が上がっている分、肝心のゴールに向かう場面で球を失わず、2年前よりもはるかに 効率よく攻撃できているわけだ。

「2年前はトライしてミスも多かった。ただ、トライすることで3人のアングルや飛び出すタイミングが段々と分かってくる。選手たちはそういうことにしっかりと向き合い、努力してきた。長年、苦しい思いもしながら、1人ひとりがつかみ取ってきたものが、結果に表れてきたのだと思う」

 まさしくトライアル・アンド・エラー(試行錯誤)の末に現在の湘南がある。決して一朝一夕に身に着けたものではない。選手たちが日々、成長しているかどうか。チョウ監督は常にそれを考えている。そして最近、彼らの成長を促す上で非常に重要だと感じるようになったのが「言葉の力」だ。そこに、どれくらいのメッセージを込められるかに腐心しているという。

「指導者が『ああしろ』『こうしろ』と言っても、勝てるようにはならないと思ったんです。強制ではなく、自ら進んで物事に取り組むこと、自主的、自発的な姿勢を育むことが、本当の指導じゃないかと」

「頂上に最短コースで行くことに価値がある」

「常に自分たちの限界に挑戦し続けることが大事」と語る指揮官の哲学は、湘南のフットボールそのものだ 【写真提供:湘南ベルマーレ】

 試合当日、キックオフの3時間くらい前に開くミーティングを大切にしているという。話の最中に下を向いている選手はいない。みんなが顔を上げ、監督の言葉にじっと耳を傾けている。そこでは戦術の話も、過剰にモチベーションを高めることもしない。先日は富士山への登り方を引き合いに出して、自分たちの進む道を再確認させている。

「富士山には頂上までのルートが4つある。1つは最も平坦な道のり、2つ目は休みながら行ける、3つ目は景色がすごくいい。ただ、この3つはどれも時間がかかる。4つ目は岩場が多く、危険を伴うが、最短で行ける。さて、どれを選ぶか。自分たちは4つ目を行くんだと。周りの景色を見ながら行くんじゃない。優勝という頂上に最短コースで行くことに価値があるんじゃないかと」

 今季はチョウ監督が指摘する前に、選手たち自身がある程度、問題点を整理できているという。ただ言われたことだけをやり続ける思考停止とは違う。自らの頭で考え、行動する習慣が備わりつつある。湘南がピッチ上に生み出すカオスに秩序が伴ってきた理由かもしれない。

「自分の判断で球を失えば、なぜミスをしたか考えなければならない。いったい、どうすべきだったのか。自分で答えを探すのが自立だと思う。監督の指示ではなく、選手1人ひとりが自分で判断できるようになれば、いろいろな形から点が取れるし、相手はこちらの企図(きと)を読めなくなる。僕はそういうチームになってもらいたいと思っている」

 いつ、どこで、誰が、何を、どのように、仕掛けてくるか。選手たちの強い意志を伴ったカオスは、より一層スケールアップしそうな予感に満ちている。「自分たちは強くなったと思ったら、そこで成長が止まってしまう。常に自分たちの限界に挑戦し続けることが大事」と、チョウ監督は言う。止まらない、終わらない、あきらめない。チームに脈打つ指揮官の哲学は、まさしくピッチ上で展開される湘南のフットボールそのものだ。

(協力:Jリーグ)

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著者プロフィール

週刊サッカーマガジン元編集長。早大卒。J元年の93年に(株)ベースボール・マガジン社に入社。以来、サッカー畑一筋。昨年10月末に退社し、現在はフリーランス。著書に『サカマガイズム』、名波浩氏との共著に『正しいバルサの目指し方』(以上、ベースボール・マガジン社)、二宮寿朗氏との共著に『勝つ準備』(実業之日本社)がある。

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