イングランドに蔓延する代表軽視の風潮 色あせた代表の誇り、クラブへ忠誠を誓う

東本貢司

優先すべきはクラブのデューティー

イングランドにはクラブ優先の考えが蔓延している。今回の敗退が何かを変える強い動機となるか 【Getty Images】

 それを、ある意味で代表する“ウィット風警告”とでもいうべきものが、現クイーンズ・パーク・レインジャーズ監督、ハリー・レドナップの(日本なら、どこぞの大臣や都議の「不適切発言」と同等に糾弾されかねない)ふとどきな指摘、いや“暴露発言”である。
「過去現在、代表に招集されている(される可能性の高い)プレーヤーの中には、それを喜んでいない者が相当数いる」

 これを伝え聞いたジェラードは即座に「もしそれが事実なら、誰と誰なのか名指ししていただきたい」と、憤然と、哀愁をたたえて反論した。すでに望みが消えたとはいえ、最後のコスタリカ戦を前にして、いや、今後のためにも、これほど士気をくじく発言はあるまい。チームを束ねるキャプテンとして当然の姿勢、態度であろう。

 ところが、あにはからんや、ブリテン島で留守を守る多くの元プレーヤー、識者はこの「レドナップ発言」に不承不承(ふしょうぶしょう)同調するか、少なくとも全面否定に及ぶ気配には程遠い。そのココロの大半は「(所属)クラブへの忠誠、クラブの暗黙の要望」が背景にあるという。代弁者の一人、元代表でサウサンプトン一筋にキャリアを終えたマシュー・ル・ティシエは「ハリーがそう言ったとしても別に驚かない」と、前向きの同意を表明している。

 例えば、史上抜きんでた長期キャリアを誇るライアン・ギグスのウェールズ代表キャップ数は70にも届いていないのはなぜなのか、サー・アレックス・ファーガソンは代表フレンドリーを目の敵にし、事あるごとにマイナーな故障を口実に辞退させようとしてきた、イングランドの水にすっかり慣れきったアーセン・ヴェンゲルは代表監督のオファーをことごとく撥ね付けてきた……これらが仮に状況証拠、こじつけの類だとしても、確かにプレミア創立以降の、特にトップクラブの監督たちは、代表のマッチスケジュールとその弊害に眉をしかめ、折に触れて反旗を翻してきた。「我がクラブから代表プレーヤーが選ばれるのは喜ばしいが、あくまで優先すべきはクラブのデューティー(義務)」なのである。

挫折が、何かを変えるクスリになれば……

 このざっと20年間、そんな暗黙の風潮が支配してきたとすれば、必然的に代表戦で「全力を出し切る」ことへの、いわば後ろめたさが、ある程度「暗黙の裡(うち)に」常識化している……。まさか? 筆者もそう思う……思いたい。

 だが、あのウルグァイの悲愴なまでの闘志と所作、コスタリカの、コートジヴォアールの、ギリシアの、メキシコの、クロアチアの……怒とうのようなヴァイタリティーとカッティング・エッジ(=辛らつなまでの“切っ先”:ここではハードプレスを指す)を目の当たりにすると、少なくとも今大会のスリーライオンズの戦士には「果たして、そこまでするほどのことだろうか?」という戸惑いと葛藤が、特に肝心のニューフェイス陣の多くに滲み出ていたように感じてしまったのだが、いかがだろうか。

 スタイルの違い、好き嫌いもないとは言えないが、ひょっとしたら昨今のイングランド代表チームには「出るからには何としても勝ち進む、優勝を狙う」というギラギラしたものから、無意識に背を向けている心理が作用しているのかもしれない。あるいは「いつでも警戒される」ことへの奢り、誇りもあるのか……。

 もしもそうだとすれば、今回の絵に描いたような挫折が、何かを変えなければ、という強い動機を呼び起こすクスリになってくれればいい――そう願うばかりだ。なぜなら、とうの昔に色あせてしまっているイングランドの「誇り」と、これ以上はなく屈辱で傷つけられたスペインの「(チャンピオンの)誇り」には、雲泥の差があるはずなのだから。

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著者プロフィール

1953年生まれ。イングランドの古都バース在パブリックスクールで青春時代を送る。ジョージ・ベスト、ボビー・チャールトン、ケヴィン・キーガンらの全盛期を目の当たりにしてイングランド・フットボールの虜に。Jリーグ発足時からフットボール・ジャーナリズムにかかわり、関連翻訳・執筆を通して一貫してフットボールの“ハート”にこだわる。近刊に『マンチェスター・ユナイテッド・クロニクル』(カンゼン)、 『マンU〜世界で最も愛され、最も嫌われるクラブ』(NHK出版)、『ヴェンゲル・コード』(カンゼン)。

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