アルジェリアとフランスの際どい関係 両チームが求める“第2のジダン”

木村かや子

移民系の持つアイデンティティーの問題

移民系のアルジェリア人選手は、元々フランスのアンダーカテゴリー代表などに入る場合も多い 【写真:ロイター/アフロ】

 現実的に見て、フランス育ちのアルジェリア系移民が、最終的にアルジェリアを選ぶ理由は、主にそのほうが容易だということだ。

 しかし現在で言えば移民三世に当たる彼らの、フランスへの愛国心の欠如も、多少はそこに絡んでくる。アルジェリアがW杯行きを決めた日、移民系の新聞記者は、フランスの生死をかけたプレーオフ2戦目の最中に、目の前の試合などそっちのけでPCの画面にかじりつき、ネットでアルジェリアの試合を追っていた。

 試合後、アルジェリア系フランス人たちはアルジェリアの旗を振ってW杯行きを祝ったが、彼らがフランスの勝ち上がりに対し、同じ興奮を見せることはないのである。

 フランス対アルジェリアが、最も危険度の高い試合のひとつとされていることからも分かるように、このふたつの近しい国の間には、ぬぐいきれない確執がある。

 憎しみは主にアルジェリアからフランスに向けられているものだとはいえ、移民系の犯罪に辟易(へきえき)としている白系フランス人が、アルジェリア移民を“移民系”の名のもとに一絡げにして悪の元凶的見方をする逆方向への敵視も、間違いなく存在する。

 とはいえ、フランス国内ではよりアルジェリアへの愛国心を前面に押し出し、浮いた存在となっている移民系が、アルジェリア本国ではもはや同国人とはみなされていないという皮肉もある。移民系のアイデンティティーの難しさは、どの国でも普遍的な問題なのだ。

第2のジダンは生まれるのか?

 話を戻せば、仏国籍も持つアルジェリア代表選手の大部分は、欧州で中堅クラスに当たるフランス代表に入りえない者たちであり、従ってチームとしての実力も、世界レベルで高いと言うことはできない。さらに言えば、現在フランス人としてプレーしているアルジェリア系の若手で、かつてのジダンやベンゼマのように将来を嘱望される選手の数は、極めて少ないのだ。

 それには、移民政策の勝利とされた1998年W杯優勝により、これこそが道だと信じた仏サッカー連盟の当時のユース育成ポリシーに、ある種の欠陥があった事実が関係している。当時のエリート・ユースの選抜では移民系が多く採用されたが、身体能力のテストを基盤に選んだために中央アフリカの植民地に源を持つ黒人系が主流となり、体格や身体能力で劣る白系フランス人やアルジェリア系の数が、極端に減ることになったのだ。

 フィジカルは弱くても、白系フランス人やアルジェリア系には、ビジョンや戦略センス、より繊細な技術力など、別の強みがある。こうした年少のときには見極めにくい資質を考慮しない選出を行なったため、ユースでも現U−23とその周辺の年代は極端に肉体派となり、「様々な資質の混合」というジダン時代の良さが失われてしまった。

 この問題はすでに気づかれ、より年齢の低いグループでは、様々な肌の色がよりバランスよく混ざり合うようになってきている。しかし20歳以下W杯を制した現U−21代表を見ても、やはり黒人系が大部分を占めており、アルジェリア系はわずかふたり。それはリヨンのヤシン・ベンジアとファレ・バルリだ。中でも最も有望視されているのは、21歳以下代表の5試合で4ゴールを挙げているFWのベンジアだろう。

 現在19歳の彼は、2012年にリヨンのプロ・チームに昇格して以来、ここまでのところ28試合に出場している。その名前と源ゆえ、カリム・ベンゼマをお手本と仰いでいるベンジアだが、その若さゆえにまだ交代要員であり、今シーズンの得点数も「2」と目を引くほどではない。17歳のときから『第2のベンゼマ』とのあだ名を頂いている反面、彼の年齢のときのベンゼマやナスリの活躍ぶりに照らせば、“神童”と呼ぶには語弊がある。現時点での彼は、将来優秀な選手に育ちうる若手の域に留まっている。

 技術力、戦術眼、なにより気骨を持つと言われるアルジェリア系。協会が育成の強化プログラムの基準を修正した今、将来的に、新たなアルジェリア系の星が台頭する可能性はより大きく膨らむだろう。フランス国内に目を向ければ、ごく最近フランスU−19に招集された、ジダンの息子エンツォ・フェルナンデスもいる。

 しかしよく言われる通り、天才は育成で生まれるものではなく、自然に生まれて育てられるものだ。そして天才は、そう頻繁には現れないからこそ特別なのである。

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著者プロフィール

東京生まれ、湘南育ち、南仏在住。1986年、フェリス女学院大学国文科卒業後、雑誌社でスポーツ専門の取材記者として働き始め、95年にオーストラリア・シドニー支局に赴任。この年から、毎夏はるばるイタリアやイングランドに出向き、オーストラリア仕込みのイタリア語とオージー英語を使って、サッカー選手のインタビューを始める。遠方から欧州サッカーを担当し続けた後、2003年に同社ヨーロッパ通信員となり、文学以外でフランスに興味がなかったもののフランスへ。マルセイユの試合にはもれなく足を運び取材している。

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