錦織圭が戦っていた見えざる敵 1時間57分で幕を閉じた全仏

内田暁

「動く勇気がなかった」

“トップ10”として初のグランドスラムを「いろんな想いがありました」と振り返った錦織 【Getty Images】

 試合の動きの中で痛みを最も感じたのは、「サーブと、蹴り出す時の一歩目」だったと錦織は言う。そして彼は、こうも明かした。

「動く勇気がなかった」

 肉体の痛みと心のうずきは、常に密接に連動し、干渉し合う。肉体的な苦痛が心を折ることもあれば、疑心が肉体の痛みを誘発することもあるだろう。
 身体は確実に回復に向かっているはずなのに、痛みはなかなか引かない――そうなった時、その「痛い」という感覚が身体が発する信号なのか、あるいは心が生み出したものなのか、もはや当人にも、あるいは当人だからこそ、判別不能になっていく。

「この何日間でケガは良くはなっていたけれど、気持ちで痛いと思っている部分も……自分では分からないですけれど……。これだけ痛みが続いていると、気持ちのせいかもと思ったり。本当に痛みがあるのか、分からない状態で試合に入っていて……」

 混濁した胸の内を、彼は途切れ途切れに絞り出す。そして一呼吸置くと、こう続けた。
「気持ちとの勝負だった」

確かにコートに立ち、最後まで試合を終えた

 今回、錦織がコート上で戦っていたのは、ネットを挟むクリザンでも、“負傷”という明確な対象ですらなかった。彼が戦っていたのは、あまりに繊細で、あまりに不確かな相手だったのだ。

 クリザンは試合中、「彼(錦織)が、何度か腰をさわっていることに気付いた」と言う。マドリッドの棄権や、ローマ大会欠場から錦織の負傷を知るクリザンは、そんな対戦相手の姿を目にし、より戦い方に迷いがなくなったことだろう。

 一方の錦織はその時、姿かたちの見えぬ痛みとは果たしてそこに実在するものなのか、あるいは自分の心の中だけにいる幻なのかと、その正体を手探りし、胸に去来する疑念や迷いと必死に折り合いをつけようともがいていた。
 そのような状況を踏まえた時、冒頭の「試合が終えられたことがうれしい」という錦織の言葉は、額面通りの意味とはまた別の重みと色彩を帯びてくる。

 簡単に棄権するわけにはいかないという、トップ10としての責任感もあったろう。ウィンブルドンに万全の状態で出るために、ケガを悪化させたくないという気持ちも大きかった。
「いろんな想いがありました」
 少し寂しげに、そう錦織はつぶやいた。

 初めて、トップ10プレーヤーとして挑んだ全仏オープンは、複雑な苦みとして、錦織の記憶に残るのかもしれない。だが、「正直、グランドスラムでなければ欠場もありえた」という状況で、彼は確かにコートに立ち、最後まで試合を終えた。

 今この時、この場所でしか得られない「いろんな想い」――。それは、今後幾度もトップ10プレーヤーとして戦っていくだろう錦織にとって、かけがえのない財産となる。

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著者プロフィール

テニス雑誌『スマッシュ』などのメディアに執筆するフリーライター。2006年頃からグランドスラム等の主要大会の取材を始め、08年デルレイビーチ国際選手権での錦織圭ツアー初優勝にも立ち合う。近著に、錦織圭の幼少期からの足跡を綴ったノンフィクション『錦織圭 リターンゲーム』(学研プラス)や、アスリートの肉体及び精神の動きを神経科学(脳科学)の知見から解説する『勝てる脳、負ける脳 一流アスリートの脳内で起きていること』(集英社)がある。京都在住。

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