“向上心の塊”長友が主将を務めた訳 真の自分を見せるために努力を惜しまず

元川悦子

代表で初めてのキャプテンマークを巻く

代表で初めてキャプテンマークを巻いた長友。「キャプテンをやらせてほしい」と自ら申し出た 【Getty Images】

「日の丸を背負ってキャプテンでプレーするっていうのは、誰がやっても誇りに思うし、感動するだろうし。キャプテンマークを巻くか巻かないかは別にして、チームを引っ張る気持ちは常に持っているので、それを強く出していければと思います。この試合を本当のワールドカップ(W杯)だと思って戦いたいです」

 日本時間2日早朝に行われたセリエA第26節のローマ戦でスコアレスドロー劇を演じた1日後。長友佑都は日本に戻り、2014年ブラジルW杯イヤー初戦となる5日のニュージーランド戦に向け、自分自身を鼓舞していた。ザックジャパン不動のキャプテン・長谷部誠が目下、右ヒザ負傷で長期離脱しており、6月の本大会に間に合うかどうかも定かではない。これまで長谷部が出場しない時はチーム最年長の遠藤保仁がゲームキャプテンを務めていた。昨年12月22日に行われたミランとのミラノダービー途中にインテルで初めて主将を任され、2月2日のユベントスとのイタリアダービーでもキャプテンマークを担ったことで、長友の中では「自らが新たなリーダーになる」という強い意欲が芽生えていた。

 迎えた試合当日。雨上がりの聖地・国立競技場のピッチに、左腕に黄色のキャプテンマークを巻いた背番号5が現れた。

「もちろん長谷部さんがいれば長谷部さんですけど、今回に関しては、僕が監督と遠藤さんと川島(永嗣)さんに『キャプテンをやらせてほしい』と言いました」と本人も打ち明けたように、彼は直訴する形で、現国立競技場改修前最後の代表戦という歴史的一戦のゲームキャプテンに名乗りを上げた。世界トップをともに目指して戦ってきた同い年の盟友・本田圭佑には、あらかじめその意思を伝えていたという。

「佑都から直接、僕にも話はあったんですけど、佑都にはそういう自覚が数年前からあった。ピッチ上だけじゃなくて、食事会場や他の選手と話してるときにもそういうコメントが多くなってきてますから。彼自身もそれ(キャプテンマーク)を巻いて責任を背負うことで、何か違う景色を見たいんじゃないかな。もっと伸びようとしてるんじゃないですかね」と本田は長友の熱い胸の内を代弁した。

長友「目指してるところはもっと先にある」

 長友の思い切った行動がチームに刺激を与えた部分は多少なりともあっただろう。香川真司のロングパスに反応した岡崎慎司が決めた開始4分の泥臭い先制点に始まり、その3分後の香川のPKによる2点目、本田のFKを森重真人が頭で合わせた前半11分の3点目、そして香川のパスを本田がヒールで流して岡崎が左足で合わせた前半17分の4点目と、この日の日本代表は試合開始から20分足らずで大量4ゴールを奪うロケットスタートを見せた。

 新キャプテン自身も精力的かつダイナミックなアップダウンから相手陣内の奥深いところまでえぐってクロスを入れたり、中へ持ち込んでシュートを放つなど、インテルのときと同様に攻撃姿勢を前面に押し出す。試合を観戦した“レジェンド”三浦知良も「長友はホントにすごいね。体力もスピードもずば抜けているし、堂々としていて余裕があった。素晴らしかった」と感心していた。

 ただ「僕の目指してるところはもっと先にあるから正直、物足りないです」と長友が顔を曇らせたように、今回の日本代表はその後の緩み方が問題だった。守備を立て直してきたニュージーランドに鋭いカウンターやサイド攻撃を仕掛けられ、長身FWクリス・ウッドにボールを集められた。そのウッドに前半39分と後半35分に2点を奪われたのだから、不完全燃焼感はどうしても拭えない。

 長友自身に初キャプテンの感慨を味わう余裕など一切、なかった。
「日の丸を背負って戦う重みというか、名誉なことだなというのは改めて感じました。チームとしてもすごくいい入り方ができて、前半に4点を取れたのはありましたけど、やっぱり2失点しているのでね。
 例えば、コートジボワールだったら(ローマの)ジェルビーニョがサイドにいるから、彼に時間を与えたら何でもできてしまう。中にはドログバもいるし、今日みたいなクロスを入れられていたら、2点3点は入ってたんじゃないかという感じはした。コロンビアにしても(フィオレンティーナのファン・ギジェルモ・)グアドラードがいる。彼らは本当に世界トップレベルなんで、守り方を見直さなきゃいけないし、僕らサイドの選手を中心に連動して守ることをまた話し合いたいです」

 こうやって苦言を呈するのも、セリエAで日頃から厳しい戦いにさらされ、常に世界基準を見据えているから。彼の意識レベルは10年南アフリカW杯を目指していた4年前よりはるかに高い。それを象徴するこの日の長友の一挙手一投足だった。

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著者プロフィール

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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