五輪の魔物に打ち勝った羽生結弦の不動心
プルシェンコが作り出した空気にも惑わされず
一気にヒートアップした会場の雰囲気にのまれたのか、5番滑走のジェレミー・アボット(米国)は65.65点と本来の実力とは程遠い結果に終わった。ロシア開催ということもあり、羽生への声援はほとんどない。6分間練習で名前がコールされても、プルシェンコのトップを願う地元ファンからはまばらな拍手しか起こらなかった。
羽生の直前に滑ったチャンは、冒頭の4回転トゥループでこらえながらの着氷となったため、続いて予定していたトリプルトゥループを跳べずにダブルとなる。これで気勢を削がれたのか、トリプルアクセルでステップアウトしてしまい、不安定な演技に終始。それでも89.71点を出すあたりはさすがだが、プルシェンコが作り出した空気に各選手が惑わされているようだった。
そんな中でも羽生の心は乱れなかった。「やるべきことは変わらないし、プログラムも変わってないので、ただ淡々とプログラムを楽しめました。僕にとって五輪は夢の舞台なので、そこで足も震えることなく、最後まで全力で滑り切れたというのは、本当に自分を褒めてあげていいんじゃないかと思います」。羽生は自身の演技を振り返り、満足げな表情を見せた。
自分のペースをどれだけ貫けるか
羽生もすでに次の戦いを見据えている。
「団体戦でSPを滑ってみて、いまの自分がどういう状態なのか、自分で分かったことはプラスです。個人戦まで少し時間が空きますけど、僕にとっては良いオフになると思いますし、別の試合として考えられると思っています」
ソチに着いて、初めての公式練習では緊張もあってか、全く体が動かなかったという。それでも毎日滑っているうちに「普通の試合」と感じられるようになった。そして異様な雰囲気にものまれず、安定感抜群の滑りを披露した。プルシェンコがほぼパーフェクトの演技を見せながらも、さらにその上を行く圧倒的な実力をライバルたちに見せつけた。
五輪には魔物が棲むと言われている。羽生にもその姿は見えていたようだ。しかし「それにとらわれず、自分がやるべきことはできた」と笑顔を見せる。魔物とは言ってみれば、自身の心に棲みつく弱気な心。それに打ち勝った羽生の目には、個人戦における金メダルへの道程がはっきりと映し出されているのではないだろうか。
(文・大橋護良/スポーツナビ)
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