鈴木明子が人生を歌い上げる『愛の讃歌』=フィギュア プログラム曲紹介Vol.3
「『愛の讃歌』を滑るのが楽しみだった」という全日本選手権で、鈴木明子が演技終了直後に見せた喜びの表情 【坂本清】
伝説のシャンソン歌手、エディット・ピアフ
日本では、「あなたの燃える手で私を抱きしめて〜」という有名な出だしで知られる愛の讃歌ですが、原題は『Hymne a l'amour(イムヌ・ア・ラムール)』。意味はほぼ邦題と一緒で、作曲者は『Milord(ミロード)』を含むたくさんの流行歌を書いたフランス人女性マルグリット・モノー、作詞と歌はフランスで最も愛されたシャンソン歌手、エディット・ピアフです。
エディット・ジョバンナ・ガションは下町の貧しい家庭に生まれました。少女時代は家族が営む娼婦館で過ごし、その後大道芸人の父との生活の中で、人前で歌うことを覚えたといいます。大人の女性になったエディットは、パリで評判の歌姫になります。そこで『ラ・モーム・ピアフ(小さい雀)』という舞台名を授けられるのです。シャンソン歌手エディット・ピアフの誕生です。
ピアフは歌手としての輝かしい栄光とは裏腹に、私生活は波乱に満ちたものでした。気まぐれで気性が激しいピアフは、それでいて寂しがり屋で、多くの愛を求めました。恋多き人生の中で、唯一「本物の恋人」とされるのがボクシングチャンピオンのマルセル・セルダンです。ところが、ピアフが32歳の時に出会ったこのフランス人ボクサーとの恋も、突然終わりがやってきます。セルダンが飛行機事故で帰らぬ人となるのです。2人が出会ってわずか2年目のことでした。
『愛の讃歌』の詞は、セルダンとの恋に終止符を打つために書いたとされています。セルダンには妻子がいたのです。歌詞の内容は、狂おしいまでの愛と、この世では決して叶うことのない「ふたりの未来」が示唆されているようでもあります。
その後、幾つもの名曲を世に送り出しながらも、破滅的な人生を歩み、47年間という短い生涯を終えます。人生を激しく駆け抜けたピアフ。それは短い競技人生の中ですべてを燃やし尽くし、ひとつの区切りをつけるスケーターたちの姿とも重なります。
オリジナルアレンジの愛の讃歌
2分50秒の演技の中に、鈴木明子のスケート人生が凝縮されている 【坂本清】
フィギュアスケート競技では、歌の入った楽曲は使えません。その場合、同じ曲のインストゥルメンタル作品を探すのが一般的ですが、今回は一からオリジナル音源を作るという大きなチャレンジがありました。編曲と鍵盤およびシンセサイザーの演奏を担当したのはCM音楽作家としても知られる平沼有梨さん、そしてクラシックを超えた広いジャンルで活躍する実力派バイオリニスト古澤巌さんをメインに迎えています。平沼さんにはフィギュアスケートの経験もあり、細部にまで競技者やコーチ、振付師との意思の確認ができたのではないでしょうか。
曲構成は3つに分かれています。はじめは「スケートとの出会い」、中盤は「苦悩の時期」、最後は「再び滑れる喜び」を表しているそうです。
演技はじまりのバイオリンによるゆったりとしたメインテーマは、幼い自分を回想し優しく見つめる大人の鈴木選手のようでもあります。だとすると、バックのピアノのトレモロはスケートに出会ったころの少女明子なのかもしれません。続いて入ってくる低く流れる音は成長する娘とともにある温かい家族の目を連想させます。
苦悩の時期を表すパートは、きっと演技を見ている皆さん全員が身につまされる思いになっているかもしれません。超高音の旋律やヒステリックにも聞こえる高速アルペジオからは、鈴木選手の心の葛藤やスケートへの抵抗が伝わってきます。
そして、オーケストラの入ってくるラストにかけてのパートでは、全てから解放され自由に生きる様が、インプロビゼーション(即興演奏)風のバイオリンのメロディラインに表されている印象を受けます。
「人生で経験したことがスケートににじみ出ると思う」――鈴木選手の言葉通り、彼女の凝縮された人生が走馬灯のように流れ、美しく力強いスピンでの大団円へと進みます。
『愛の讃歌』は時代や洋の東西を問わず愛され続け、さまざまな人に今も歌われています。鈴木選手は自分の身体とその端々までにおよぶ表現によって歌い上げます。それはスケートへの愛、かかわった人々への愛、そして人生への愛の形です。
<了>
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