安藤美姫と織田信成が進む新たな道=五輪の夢破れ、現役引退を発表

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万人に愛されるキャラクター

清々しい表情で、フリーの演技を終えた織田 【坂本清】

 織田のスケート人生は涙で彩られている。05年のNHK杯で初優勝が決まったときはキス&クライで大号泣し、一躍その名を知らしめると、バンクーバー五輪では演技中に靴ひもが切れるアクシデントに泣いた。そして引退を発表した12月24日の全日本選手権明けのアイスショー『メダリスト・オン・アイス』でも、演技後のスピーチで瞳を潤ませた。自身も先祖とされる戦国武将・織田信長の性格を表した句にちなみ「鳴かぬなら、泣きに泣きますホトトギス」と詠んだように、織田を語るうえで涙は欠かせない。

 万人に愛されるキャラクター。今回の全日本選手権でも、自身のFS演技後、五輪出場を争うライバルでもある高橋大輔に向かって「大ちゃん、ガンバ」と声を掛け、大会初優勝を飾った鈴木明子に対しては、彼女が泣くより先に泣き出して祝福するなど、自分を差し置いて仲間への思いやりを見せた。鈴木も「我先に泣き出すノブの優しい性格が大好きでした」と、織田の引退発表後に言葉を詰まらせた。引退スピーチのあとに、アイスショーの出演者全員が花道を作って見送ったのも、彼がいかに愛されていたかが分かるシーンだ。

 今季限りで現役を退くことはシーズン前に発表していた。しかし、五輪と3月に開催される世界選手権の出場権を逃したことで引退のタイミングは早まった。

「自分の実力の至らなさで、代表の座を逃してしまった。若い選手もどんどん強くなってきているし、いまが引き際かなと。もちろんこれからもっと頑張っていこうという決断もあったと思うんですけど、若い選手が強くなっているなかで戦い続けていくのは厳しいと思いました」

「大ちゃんがいてくれたから頑張れた」

織田は、仲間たちが作った“花道”のアーチをくぐってリンクを去った 【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】

 ジャンプの美しさと着氷の柔らかさに定評があった織田は、まぎれもなく世界屈指の選手だった。実際、今季出場したグランプリシリーズではスケートカナダで3位、NHK杯で2位、ファイナルでも3位とすべて表彰台に乗った。全日本選手権では4位に終わったものの、総合256.47点という高得点を出している。選考基準は満たせなかったが、五輪に出場する実力は十分にあった。

 ソチ五輪に懸ける思いは人一倍強かった。「バンクーバーではふがいない演技だったので、その選手がこんな演技をしているんだと日本だけではなく世界にアピールしたい」。そう意気込んでいたが、その思いは成就しなかった。世界選手権でも過去最高は4位と、5回の出場で一度もメダルに届いていない。11年には左ひざを負傷し、長期離脱も強いられた。

 それでも「僕のスケート人生は幸福に満ち溢れていた」と、織田は話す。
「母がコーチをしていたこともそうだし、スケートを続けられる環境にも恵まれていました。試合に関しても常にラッキーだったと感じています。本当にたくさんの方に祝福していただいて引退できたので、すごくすごく幸せでした。みんなにも『本当に今までありがとう』という言葉を掛けてもらって、ただただうれしかったです」

 同年代に高橋大輔という絶対的なエースがいたため、どちらかというと影に隠れがちだった。しかし、高橋がここまでの存在になれたのも織田というライバルがいたからこそ。織田も「大ちゃんがいてくれたから僕も頑張れたと思うし、ライバルとしても人としてもすごく尊敬しているので、同じ時代にスケートができて良かったです」と語る。

 引退後は、指導者を目指す。「関西大学のアリーナには07年からお世話になっているので、そこで新たに五輪を目指す選手を指導していきたいというのが夢や目標のひとつです」。五輪や世界選手権でメダルを取るという偉大な記録は残せなかった。それでも織田が記憶に残る名選手であったことは疑いようがないだろう。

 安藤と織田。日本のフィギュア界を支えてきた第一人者はそれぞれ新しい道に進む。世界を舞台に戦ってきた2人の挑戦は今後も続いていく。

<了>

(文・大橋護良/スポーツナビ)

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