「すごく充実した時期を過ごせている」=フィギュア織田信成インタビュー・前編

スポーツナビ

五輪は夢の舞台というより戦う舞台

初めて味わった五輪の雰囲気はやはり独特だったようだ。「会場に入った瞬間、プレッシャーがかかってきた」と、織田は語る 【Getty Images】

――初めて味わった五輪の舞台。印象に残っていることは?

 五輪はすごく特別なものだと分かっていたんですけど、いざ試合に行くとみんなすごく集中していました。五輪はやっぱりすごいんだなと思いましたし、みんながメダルを取るんだという気持ちが作り出す何とも言えない雰囲気というのが、魔物が棲む場所たるゆえんなんだなという感じでしたね。

――織田選手が五輪を初めてみたのはいつですか?

 1998年の長野五輪ですね。小学生のときに初めて五輪を見ました。僕、同じリンクで全日本ノービスの大会があって、「ここで滑れることを光栄に思いなさい」と言われたんですね。それをすごく覚えていて、実際にそこで試合が行われているのを見て、「おお!」という感動がありました。そのときはカナダのエルビス・ストイコ選手が出ていて、すごくジャンプが高かった。こんなにジャンプが高いんだという衝撃を受けたのと、タラ・リンピスキー選手やミシェル・クワン選手(ともに米国)の滑りを見て、きれいだなとか、10代なのにすごいなとか、いろいろ世界のスケートを見たのが初めてだったので、それは衝撃的でしたね。

――そのとき、織田選手も五輪で滑ってみたいと?

 いや、そのときは全然思っていなかったです。当時はスケートにそこまで気持ちがいってなくて、すごいなと思っていたんですが、到底自分がそういう選手になれるとは思っていなかったので、手堅くサラリーマンとして生きていこうと決めていました(笑)。だからそこまで夢を持ったというのはなかったですね。ただ、ソルトレークシティ五輪のシーズンに、ちょうど初めて国際大会に行くことができ、自分も五輪を目指していいのかなと思うようになりました。

――そのときが初めてだったんですね

 そうですね。目指すというより目指せる資格があるのかなと。そこが五輪を意識した初めての瞬間ですね。

――そして8年越しでバンクーバー五輪に出場することになりました。出場を決めたときはやはり相当なうれしさがありましたか?

 うれしさはあったんですけど、本当に僕が出るのかと(笑)。自分が見ていた夢の舞台に現実味がなかったというか、会場に行ってその空気を味わった瞬間、ドンと音が聞こえるくらいプレッシャーがかかってきました。そのとき、五輪は夢の舞台というより戦う舞台なんだなと感じましたね。

アクシデントに泣いたバンクーバー五輪

バンクーバー五輪では靴ひもが切れるアクシデントに泣いた。織田も「もう少しできたという気持ちがあった」と振り返る 【Getty Images】

――結果は7位でした。それに対する悔しさはありましたか?

 SPは順位が良かったので、もう少しできたかなという気持ちがあったし、悔しさもありました。いまはその悔しさをバネに、ソチ五輪という舞台を目指して頑張っているので、結果として悪い経験ではなかったです。

――FSの演技中に靴ひもが切れるアクシデントがありました。そのときはどういう気持ちだったんですか?

 何も考えていなかったです。とりあえず4分半(フリーの演技時間)を滑りきらないと点数が出ないと思ったので、靴ひもを結んですぐに滑らないとという感じでした。

――自分はもっとできたという思いはありましたよね

 終わってすぐはやっぱりありましたね。悔しくて、ただただうなだれていました。

――すぐ4年後を目指す気持ちになりましたか?

 う〜ん、2日ぐらいは死んでいるような状態でした(笑)。魂ここにあらずという感じだったんですけど、女子の試合の応援があって、日本人選手が頑張っているのを見たら、自分も頑張りたいという気持ちになれました。

――比較的早く決めることができたんですね

 僕、感情の起伏は激しいんですけど、ジェットコースターのように落ちたらすぐに上がる感じなんで、思ったよりは立ち直りは早かったですね(笑)。

苦しい時期を支えてくれた家族の存在

薬指には指輪が光る。バンクーバー五輪後に結婚し、家族ができたことで、成長した部分も数多くあったようだ 【スポーツナビ】

――五輪からここ3年間、けが(左ひざけん部分断裂)などもあって決して順調な歩みではなかったと思います。リハビリなどで心が折れそうになったことはありますか?

 折れるというか、不安で押しつぶされそうな状態でしたね。やっぱり氷の上に立てない時間が長かったですし、戻ってちゃんとジャンプを跳べるのかも分からない。ただでさえ筋力も落ちていたし、FSの演技はできるのかなとかいろいろ考えすぎてパニックになっていたときもありました。ただ、家族みんなに温かく支えられたので、あんまりスケートのことを考えないようにして、比較的穏やかにはいられましたね。

――そのときに支えになったのはやはり家族なんですね

 たぶん1人でいたら心が折れたと思います。息子がちょうど1歳になるころだったので、癒されていました。

――リラックスすることにもつながったんですね

 はい。あとソチ五輪を目指すとなったらそこまでまとまった時間を取れることないなと思ったので、いまのうちにたくさん貸しを作っておこうと(笑)。それで復帰したあとはいっぱい支えてもらおうと思っていました(笑)。そういう意味では家族孝行をたくさんできましたね。逆にいまは甘えっぱなしです。

――家族ができて何が一番変わりました?

 練習後はスケートのことを考えなくなりました。前までは帰ったら1人だったので、つねにスケートのことを考えていました。何かあるとスケートのビデオを見ていたんですけど、いまはそれがなくなりましたね。良い意味でスケートを忘れて、オンとオフをうまく切り替えられるようになったと思います。

――スケートを考える割合は前と比べてどのようになりましたか?

 前は100パーセントでしたけどいまは1割ぐらいですかね(笑)。帰ったら子供とディズニーチャンネルを見て、ご飯を食べて、散歩をしています。お風呂入れたり、あとはドラえもんを見たりしてます(笑)。気持ちはすごく楽ですね。

<後編に続く>

(取材・大橋護良/スポーツナビ)

2/2ページ

著者プロフィール

スポーツナビ編集部による執筆・編集・構成の記事。コラムやインタビューなどの深い読み物や、“今知りたい”スポーツの最新情報をお届けします。

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント