岩隈、川崎、青木が探し求めるもの――メジャー流を身につけ、さらなる進化へ

中島大輔

青木がメジャーに求めた「変化」

青木はメジャーに変化を求めて行き、実際にバッティングなどを進化させていった 【Getty Images】

 青木宣親は12年にミルウォーキー・ブリュワーズに移籍し、「やっぱり変化したところがあった」と振り返る。
「日本のように、とはいかなかったですね。バッティングで変えなければいけないところもたくさんありました。タイミングの取り方も変えましたからね」
 その変化こそ、青木がメジャーに求めたものだった。

 03年ドラフト4巡目で早稲田大学から東京ヤクルトスワローズに入団した青木は2年目の05年、202安打、打率3割4分4厘の好成績で新人王に輝き、以降“安打製造機”としてコンスタントに成績を残していく。ワールド・ベースボール・クラシックの連覇に貢献した09年には出塁率4割を記録し、10年には若松勉の持つ球団記録を更新する打率3割5分8厘4毛で自身3度目の首位打者に輝いた。
 周囲から見ると円熟味を増すばかりだったが、本人はそうではなかったと振り返る。
「日本での最後の3年間くらいは、理想とするものがなかなかつかめなくて、悩んでいた時期でもありました。自分の方向性が分からなくなってきたところで、環境を変えてみると良い方向に行くんじゃないかなと感じて、思い切ってチャレンジしてみました」

 外野の層が厚いブリュワーズに加わった12年シーズン当初は「4番目の外野手」という位置づけだったが、与えられたチャンスで着実に結果を出し、5月途中からスタメンの座を奪取する。結局151試合に出場し、規定打席に到達して打率2割8分8厘、30盗塁の成績を残した。

今季、探し求めていたものを遂に見つける

電撃トレードでロイヤルズへの移籍が決まった青木。新天地で今季つかんだ“もの”で、チームの勝利に貢献することを誓う 【スポーツナビ】

 大学生の頃から「夢」として描いていたメジャーの世界では、毎日が新鮮だった。
「野球の見方が、日本とはちょっと違いましたね。野球とベースボールの違いは、球場の雰囲気などに感じました。そういった雰囲気に乗せられてプレーすることができました。『今までにはない野球をやっている』という感じですね。日本は日本、メジャーにはメジャーの素晴らしい野球があるんだと感じました」
 とりわけ違いを感じたのはスケジュール面だ。日本では年間144試合だが、米国では長距離移動をしながら162試合を戦う。適応するためにトレーニング方法を変え、食事やサプリメントの摂取法にも工夫を施し、「1日のルーティンを確立していった」。
「スケジュールに関しては慣れが絶対にあると思うし、経験していくことが大切だと思います。日本にいる頃に何となくイメージしていたメジャーとは違った部分もあったし、合っているところもありました。やりながら、ひとつひとつ消化していったという感じですね」

 開幕戦から1番として出場した13年シーズンが残り10試合に差し掛かった頃、青木は探し求めていたものを遂に見つける。打席の中で、「これだ」という感覚をつかんだ。その日だけでなく、以降の試合でも同じ感触が手に残った。
「自分が変えていった部分がうまくいったということです。具体的には言えないけど、自分の中で感じたものがありました。それが変化する可能性はありますけど、今までとはちょっと違った感覚でしたね。メジャーに行ってから2年間やって、何となく兆しが見えたような気がしました。日本で悩んでいた頃から、5年くらいかかりましたね。とは言っても、まだ結果が残っていないですから。これからもっと結果を残すために、良い感覚を増やしていきたい」
 充実した表情で語る青木に、「シーズンが終わるのは名残惜しかったのでは?」と聞いてみた。
「いやいやいや、そんなことはないです。何のためにプレーしているかと言うと、自分の価値を高める目的もありますけど、チームはプレーオフ争いから外れた状況でしたからね。何となく野球をずっとやるのは……。なるべくなら、そういうチームの雰囲気で野球をやりたくない」

 奇しくも話を聞いた当日、青木は突然のトレードが決定した。14年からカンザスシティ・ロイヤルズに移ることが決まったのだ。今季のロイヤルズはア・リーグ最高のチーム防御率3.45を記録し、10年ぶりに勝率5割を超えた。シーズン終盤までワイルドカード争いを繰り広げ、世界一に輝いた85年以来のポストシーズン出場に向け、来季へのチーム作りが進んでいる。
 青木にとって、歓迎できる新天地と言えるだろう。
「自分がしっかりプレーすることは当然です。昨年までに感じたいろんなことを、この3年目に一気に爆発できるように。そしてシーズン最後まで野球をやって、ワールドシリーズに出て、世界一になりたい」

 メジャーに移籍し、2年目のシーズンを終えた岩隈、川崎、青木。異国のリーグに身を投じた3人は、「選手としての幅が広がった」と口をそろえた。日本で築いたものをベースに、メジャー流を身につけながら確実にスケールアップしている。
 彼らの感覚は、日々を重ねるにつれ磨かれていくのだろう。
 それぞれに探すものを追い求めて、4カ月後、14年シーズンを迎える。

<了>

三点倒立でも寝られる!? 睡眠の重要性を語る

12月6日に行われたトークイベントで、マニフレックスの製品をアピールする(左から)岩隈、青木、川崎の3選手 【スポーツナビ】

 岩隈、川崎、青木の3選手は12月6日、都内のMLB cafe TOKYOで、寝具ブランド・マニフレックス主催のトークイベント「MLB華の2年生組 お疲れ様パジャマパーティー〜僕らの夢は続いてゆく。」に登場した。

 3選手ともマニフレックスのマットレスを使用していると言い、「遠征時にも持っていっている」ほどの愛用者でもある。
 青木は「僕は腰痛を持っているのですが、マニフレックスのマットレスと10年来の付き合いで本当に良くなった。熟睡ができ、朝起きたときの『寝たな感』が違う。メジャーでは162試合を戦うわけで寝ることに対していつも神経を使っているので助かっている」と、今季の活躍の要因のひとつに『睡眠』があったことを明かす。すると、岩隈も「米国では時差も存在するので、睡眠は本当に大事」とこれに同調した。

 青木、岩隈が真面目に話す一方で、川崎はマニフレックスのマットレスで三点倒立する写真を見せながら、「このマットレスの寝心地は本当に良くて、三点倒立しながらでも寝られるんです」と真顔で答えると、この日司会を務めた平井理央さんに「このために写真を撮ってきてくれたんですか!?」とツッコミを入れられ、「はい」と白状し、会場を大爆笑に誘った。

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著者プロフィール

1979年埼玉県生まれ。上智大学在学中からスポーツライター、編集者として活動。05年夏、セルティックの中村俊輔を追い掛けてスコットランドに渡り、4年間密着取材。帰国後は主に野球を取材。新著に『プロ野球 FA宣言の闇』。2013年から中南米野球の取材を行い、2017年に上梓した『中南米野球はなぜ強いのか』(ともに亜紀書房)がミズノスポーツライター賞の優秀賞。その他の著書に『野球消滅』(新潮新書)と『人を育てる名監督の教え』(双葉社)がある。

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