YAJINスタジアムに見る鳥取の逡巡=J2漫遊記2013 ガイナーレ鳥取

宇都宮徹壱

育成から見たYAJINスタジアムの可能性

鳥取U−15監督の雨野裕介。「YAJINで試合ができると子供たちの眼の色が変わる」と、その効果を強調する 【宇都宮徹壱】

 ならば、育成の現場の人間にも話を聞いてみるべきだろう。応じてくれたのは、ガイナーレ鳥取U−15監督の雨野裕介である。

「鳥取って、あまり天気が良くないんですよ。ですから、雨や雪のことを考えると、確かに人工芝のほうがいいのかもしれない。でも、YAJINに関していえば、育成レベルの試合環境としては申し分ないですね。実際、県外から来るチーム関係者のほとんどが、素晴らしい施設だと評価してくれますから」

 現在35歳の雨野のプロフィールは、実にユニークだ。愛媛の松山に生まれ、94年にサンフレッチェ広島ユースに入団。けがで1年留年したため、3年下の駒野友一や森崎兄弟(和幸・浩司)と一緒にピッチに立っている。その後、桐蔭横浜大学に進学(かつて広島でプレーし、現在は川崎フロンターレ監督の風間八宏の指導を受けた)。しかしJクラブからの誘いはなく、まだアマチュアだったガイナーレの前身であるSC鳥取でプレー(現役時代の塚野はチームメートだった)。その後、プロになるのを諦めて故郷で公務員になろうと思っていたら、広島から「ユースのコーチにならないか」とオファーを受けた。当時の広島ユースといえば、監督が森山佳郎でコーチが沢田謙太郎。いずれも、元日本代表のキャリアとS級ライセンスを持つ、仰ぎ見るような存在である。

「あの時の広島ユースは、ゴリさん(森山)、謙太郎さん、そして僕ですからね。最初は怒られてばっかりで(苦笑)、半年は何もできずに本当にきつかったです。文字通り朝から晩まで、毎日がサッカー漬けでした」と、当時を懐かしむ雨野。この広島での修行時代がその後のキャリアに大きな影響を及ぼしたのは間違いないだろう。その後、自ら望んで鳥取に戻り、古巣の育成組織を率いることになったが、広島との彼我の差を痛感することも少なくないようだ。その一方で、YAJINスタジアムには可能性を感じているという。

「今の(中学)2年生は、中国地方では広島の次くらいの実力があると思いますが、競争力という意味ではまだまだですね。こっちは情報が閉鎖されている地域なので、世の中のサッカー界に触れる機会が少ない。それからトップチームが鳥取で試合をしているので、目指すべきものが近くにないことも要因としてあるのかもしれないですね。ただYAJINスタジアムに関しては、ここで試合ができるとなると子供たちの眼の色が変わるという意味で、アカデミーの立場からすると有難い場所になっています。いずれここで(ユースの)フェスティバルを開催したいですね。そうなれば、わざわざ県外に出なくても、全国のレベルを感じることができる。ここは、そういう場所になってほしいと思います」

入れ替え戦に挑む鳥取に望みたいこと

最下位が決定し、カマタマーレ讃岐との入れ替え戦に臨む鳥取。今こそクラブに求められるものとは? 【宇都宮徹壱】

 その後、雨野に案内されて、YAJINスタジアムをじっくり見学させていただいた。この施設のネーミングは言うまでもなく、チーム一のベテラン選手である岡野雅行のニックネーム「野人」に由来しているのだが、外壁もないあっけらかんとした土地にピッチが拡がる光景は、まさに「野生」そのものだ。ちなみにピッチの管理費用は年間500万円。プロの業者に頼むと3000万円はかかるそうだが、スタッフを業者に半年派遣させてノウハウを学ぶことで、コストを6分の1に抑えることができたという。

 鳥取のホームゲームでは、いつも試合前に「自信」「オープンマインド」「全力」といったクラブスピリッツが読み上げられる。その中で、私が最も鳥取らしいと思えるのが、9番目の「創意工夫」だ。全国で最も人口が少ない鳥取県にJクラブが誕生したのも、わずか4億円で自前のスタジアムを作ったのも、まさに彼らならではの創意工夫があればこそであった。その意味で、鳥取は社長の塚野以下、この3シーズンは本当によく頑張ったと思う。ただし地方の小クラブの常として、鳥取もまたピッチ上の戦績以上にクラブ存続に注力せざるを得なかった。それはクラブ設立当初からの懸案であった「東西分断の解消」への対応からも明らかである。今季、鳥取が成績面で苦しむこととなったのも、ある意味で詮無き話であったのかもしれない。

 実は今回の取材にあたり、鳥取に関わりの深い数人の地元ファンにクラブの現状についてグループインタビューを行ったのだが、あまりポジティブな話題を聞き出すことはできなかった。もちろんそれは、成績面が芳しくないという現状もあるのだろうが、それ以上に「クラブがこちらを向いてくれなくなった」ことへの不満が根底にあるように感じられた。その点について社長の塚野に問うてみると、こんな答えが返ってきた。

「確かにJFLの頃は、ボランティアさんにもたくさん手伝っていただいて、打ち上げで皆でお酒を飲んだりしていました。でもJに上がると、何かあったときの責任の問題も発生しますから、やっぱり業者さんにお願いするようになります。それと、われわれも忙しさの質が昔とは違ってきて、そういう意味で昔のような関係でなくなってきているのは事実だと思いますよ。『辞めちまえ』みたいなことを言われることもありますが、代わってくれる人が今はいませんから(苦笑)、歯を食いしばって頑張るしかない。でも誤解してほしくないんですが、決して暗い気持ちでやっているわけではないですよ(笑)」

 鳥取での取材から1カ月が経過し、チームは第41節でJ2最下位が決定。JFL2位でJ2ライセンスを持つカマタマーレ讃岐と、ホーム&アウエーの入れ替え戦を行うこととなった。本稿を執筆している時点で結果は明らかではない。それでも鳥取のサポーターは、フロントへの批判はいったん肚(はら)に収めて、全力でチームを鼓舞していると信じたい。もちろん讃岐にも、頑張ってもらいたいという思いはある(何しろこのクラブについても、06年からウォッチしているので)。しかし一方で鳥取には、J2で3シーズン頑張ってきた意地を、ぜひとも見せてほしい。そして精いっぱい戦ったのちに、どんな結果になろうとも、フロントとサポーターとがきちんとひざを突き合わせて語り合う機会を設けてほしい。いろいろ問題や課題の多かった3シーズンだったかもしれない。が、そのすべてを否定してしまっては何も始まらない。今回の入れ替え戦が、クラブにとってより良いリスタートとなることを、心から願う次第だ。

<この稿、了。文中敬称略>

(協力:Jリーグ)

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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