難病と闘う大隣が歩む、未開の復活ロード

田尻耕太郎

「ツラいリハビリ」当てはまらない、底抜けの明るさ

フェニックスリーグで実戦復帰を飾った大隣、来季の復活へ一歩一歩、歩みを進めている 【写真は共同】

 6月21日に手術を受けた。その後、福岡市東区西戸崎の球団施設でリハビリに励む大隣に何度か会いに行った。大隣はいつ会っても、ツラいリハビリ生活という言葉が当てはまらないほど、底抜けに明るかった。いつもの如くよく喋る。大隣のおかげか、リハビリ組にいる他の若手選手の表情も明るく感じられ、皆めいっぱい前だけを向いて練習をしていた。
「ほら、見てくださいよ」
 ある日、シャツをめくって背中を見せてくれた。背中の中央に縦15センチほどの手術痕があった。
「まだ早期発見だった。だから、医者からは3カ月もすれば投げられるようになると言われています。秋のフェニックスリーグ(宮崎秋季教育リーグ)で1試合でもいいから投げたい。そうすれば、来季の復帰が見えてくると思うんです」

 果たして10月、大隣は言葉通り実戦復帰を飾った。10月22日のロッテ戦、144日ぶりのマウンドだった。

「久々に足が震えました。投げられる喜び、楽しさを感じることができました」

 1イニング限定。たった5球で打者3人を打ち取った。それでも、翌日には体中に張りを感じた。「力が入っていたんでしょうね」。この痛みこそ、ピッチャーとしての実感である。曇りのない笑顔を浮かべていた。

未来は描くことができる

 この試合を含め、フェニックスリーグでは3試合に投げた。いずれも無失点。2回を投げた試合もあった。その後の秋季キャンプでは連日100球以上の投げ込みを敢行。張り切り過ぎて首を痛めた時期もあったが、ピッチングを休んだのはわずか数日だけ。22日間のキャンプで計1501球を投げ込んだ。

「順調にしっかり投げることができました。走り込みも問題ない。ただ、前と同じ体かと言えば、そうではないと思います。直球のボールの回転や変化球の曲がり方、落ち方も多少変化していると思います。その中でいろいろ研究しているところです。オフの間も継続して、2月をしっかり迎えられたらいい」

 11月22日、29歳の大隣はそう手応えを口にした。未来は、決めることはできないが、描くことはできる。大隣には復活への道しるべが見えているはずだ。

<了>

2/2ページ

著者プロフィール

 1978年8月18日生まれ。熊本県出身。法政大学在学時に「スポーツ法政新聞」に所属しマスコミの世界を志す。2002年卒業と同時に、オフィシャル球団誌『月刊ホークス』の編集記者に。2004年8月独立。その後もホークスを中心に九州・福岡を拠点に活動し、『週刊ベースボール』(ベースボールマガジン社)『週刊現代』(講談社)『スポルティーバ』(集英社)などのメディア媒体に寄稿するほか、福岡ソフトバンクホークス・オフィシャルメディアともライター契約している。2011年に川崎宗則選手のホークス時代の軌跡をつづった『チェ スト〜Kawasaki Style Best』を出版。また、毎年1月には多くのプロ野球選手、ソフトボールの上野由岐子投手、格闘家、ゴルファーらが参加する自主トレのサポートをライフワークで行っている。

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント