馬主と厩舎、信頼が育んだ3世代目の女王=マンボ牝馬の頂点へ飯田祐史調教師の勝算
阪神JFは判断ミスでした
デビュー当初のメイショウマンボはとにかくゲートにてこずった 【netkeiba.com】
レースをさかのぼってみよう。飯田自身が手綱を取った新馬戦は、圧巻のパフォーマンスで勝利。かなりの手応えを感じ、次走はGI・阪神JFへと進んだ。そしてこの挑戦が、マンボにとって過酷な試練となったのだ。
「あの頃、あんなに大人しかった馬が厩務員さんを振り落としたり、馬場に向かう時に立ち上がったりして。その状態で競馬場に行ったから、返し馬からすごくうるさくて、ゲートも入った瞬間からもぐってしまって出遅れて……。こっちの判断ミスなんです。可愛そうでしたね。悪いことをしたなと思っています」
阪神JFを経て、陣営はもう一度マンボの心と向き合い直したという。メンタル面を大切にする調教方法は、ここからさらに強化されていったのだ。そしてこの年、飯田は調教師試験に見事合格し、騎手を引退。マンボへの携わり方も、レースでのパートナーから育てる側に変わった。
「調教師試験に受かって、もちろん乗れなくなるのはわかっていましたし、技術調教師になるわけで、そのタイミングでこういう馬に携われるのは幸せなことだと思ってます。自分がもともと乗っていた馬で、GIを獲る時に携われるっていうのはね。すごくいい経験です」
3歳になったメイショウマンボは、武幸四郎と共に桜花賞を目指すことになった。コンビ初戦となった紅梅Sでは、頑なにゲート入りを嫌った。
「とにかく入らなくて……。GIの時にゲートで嫌な思いをして、それを引きずっていたのかもしれません。一発再試験かなと思ったんですけど、イエローカードみたいな感じで『次も同じだったら再試験』と言われました。もし再試験になったら1カ月間競馬に使えないですから、もう桜花賞は無理じゃないですか。権利を持っていない状態で1カ月休んだら」
桜花賞へ出走するために、次の“こぶし賞”は絶対に落とせない戦いだった。しかし、このままではゲート再試験になってしまう……。ここで陣営は腹をくくり、コースで走らせることを控えて、ゲート練習を増やす調教法に切り替えた。
「調教師の判断で、追い切りをするよりもゲート練習をという方針でした。ただ、すごく勇気が要りましたね。どうしても勝たなきゃいけないレースだったから、もっと攻めたくて……。でもゲートの方は納得してくれたみたいで、賢い馬だから、怖いところじゃないというのがわかったら素直に入るようになりました。今考えると、あそこがギャンブルでしたね」
桜花賞、二冠馬の苦戦
こぶし賞、フィリーズレビューと快勝して桜花賞に挑んだメイショウマンボだったが…… 【netkeiba.com】
「ゲートが安定して来たので、普段の調教に切り替えました。順調だったし、特に問題なかったです。ただ、カイバ食いも良かったのに、体が減っていた。やっぱり、ナーバスになっていたんでしょうね。ゲート練習はかなり応えていたと思いますし、その中で競馬も使われて、しんどかったんだと思います。外枠だったからとか色々な原因があるのかもしれないけど、やっぱりあまりフレッシュな状態ではなかったんだと思います」
目標としていた桜花賞は、10着に惨敗した。
「もちろんガッカリしましたけど、オーナーからすぐに連絡があって。オークス登録がなかったので、『追加登録をするからオークスに行こう』という話をいただいて。距離が(合うかは)ちょっとわからなかったんですけど、すぐに気持ちを切り替えました」
オークス出走へ向けて、体重を増やせるメニューに切り替えた。東京競馬場に登場したマンボはプラス10キロ。体重増には成功したが、今度は激しい入れ込みを見せたのだった。
「相当入れ込んでいましたね。幸四郎も『レース前に終わったと思った』って言っていました。レース前にだいぶ消耗したらしいんですけど……よく勝ちましたよね。ジョッキーも上手く乗ってくれたし、強かったです。どんなことがあっても、心が折れないですね。底力というか、精神的に強いんだと思います」
様々な壁を乗り越え、見事にGI馬となったメイショウマンボ。さらに秋華賞も制して牝馬二冠を達成。この後はいよいよ、古馬との戦いエリザベス女王杯が待っている。