新・侍Jに注入、小久保新監督の不屈精神とリーダーシップ

田尻耕太郎

逆境の時こそ、生き様の見せどころ

 その一方で、怪我の多い現役時代だった。手術は8度経験もしている。肩、手首、膝、首……。中でも忘れられないのが2003年のオープン戦だ。本塁でのクロスプレーで相手捕手に右膝を潰された。前十字靭帯断裂、内側靭帯損傷、外側半月板損傷、脛骨・大腿骨挫傷。このシーズンを棒に振り、選手生命を脅かすほどの大怪我だった。

 しかし、この怪我が選手寿命を延ばしたのだという。
「体のことを学び、練習法から食事の面まで見直すことができました。当時は体を大きくすることだけを考えてトレーニングしていたが、アメリカでのリハビリを通じて、体幹部やバランスの重要性を学んだ。ただ体をデカくして失敗した選手も野球界には多いから、自分もそうなっていたかもしれない」

 そして、復活を目指していたそのオフに巨人への無償トレードがあった。不可解な電撃移籍に当初は戸惑った。だが、「巨人での3年間がなかったらと思うと、不安です」と語るのだ。
「ホークスでずっと19年間やっていたら、今みたいな自分はなかったでしょう。あの頃、僕はホークスでバリバリの中心選手でずっと4番でした。ある意味、王様みたいなもの。僕に意見を言う人もいなくなっていました。その時期に移籍して、周りのチームメート、ファンの皆さん、読売の本社の人たちに至るまで、自分がどんな人間なのか、知ってもらわなければならなかった。あの時期に自分自身を顧みることができたのは大きかった」
 人生、無駄なし。
 逆境の時こそ、生き様の見せどころ。
 現役晩年に語っていたこれら二つの言葉は、今もとても印象に残っている。

全てが未知数、だからこそ魅力もある新生・侍ジャパン

小久保新監督を含めてすべてが未知数、だからこそ魅力にあふれている 【スポーツナビ】

 小久保新監督の就任に合わせて、侍ジャパンの新スローガンも発表された。
「野球日本代表『結束』 そして、『世界最強』へ」

 結束――に向けて、小久保監督のリーダーシップに期待する声は大きい。2006年には巨人では生え抜き選手以外で初めて主将を任され、ホークス復帰後もキャプテンとして常にチームの先頭に立ち続けた。ソフトバンクの内川聖一は「物事を一つの角度だけでなく、あらゆる角度から見つめることができる人」と表現する。プロ野球というのは個の集団であり、選手は人並み外れた桁違いのプレーを追求する「技術屋」であるがゆえに、総じて視野が狭くなりがちなのだ。だが、現役時代の小久保監督は自主トレにはいつも若手を帯同させ、キャプテンに就任すると「春のキャンプで選手全員をメシに連れていくのが目標や」と話し、常にコミュニケーションをとっていた。
「自分が怪我で離脱したときに、小久保さんから『オマエの分まで頑張るから』と言っていただいた言葉に本当に救われました」(内川)

 一方で怠慢プレーや攻める気持ちのないピッチャーなどには厳しい言葉もぶつけた。だが、それは勝つ集団であるための正論。だからこそ人望が厚かった。

 今回の代表チームは嶋基弘(28歳・楽天)が主将を務める若いメンバー。あくまで見据えるのは4年後の世界一奪還なのである。全てが未知数だが、だからこそ魅力もある新生・侍ジャパン。台湾戦は親善試合とはいえ、注目すべき戦いとなる。

<了>

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著者プロフィール

 1978年8月18日生まれ。熊本県出身。法政大学在学時に「スポーツ法政新聞」に所属しマスコミの世界を志す。2002年卒業と同時に、オフィシャル球団誌『月刊ホークス』の編集記者に。2004年8月独立。その後もホークスを中心に九州・福岡を拠点に活動し、『週刊ベースボール』(ベースボールマガジン社)『週刊現代』(講談社)『スポルティーバ』(集英社)などのメディア媒体に寄稿するほか、福岡ソフトバンクホークス・オフィシャルメディアともライター契約している。2011年に川崎宗則選手のホークス時代の軌跡をつづった『チェ スト〜Kawasaki Style Best』を出版。また、毎年1月には多くのプロ野球選手、ソフトボールの上野由岐子投手、格闘家、ゴルファーらが参加する自主トレのサポートをライフワークで行っている。

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