錦織圭、1年を戦い抜いて得た地位と自信=来季こそ満を持してトップ10挑戦を

内田暁

世界ランク17位でシーズン終了

錦織は17位で今季を終え、1年を通してトップ20を維持した。安定した結果を残せたことで、本人は「これまでで一番良い年」と振り返った 【Getty Images】

 テニスの世界には「ランキングは、1年間維持して本物」という不文律、選手間の共通認識がある。出場大会の獲得ポイントに応じて毎週変動する“世界ランキング”は、プレーヤーの実力をかなりの部分で正確に反映するが、同時に“あくまで机上の論理”とでも呼びたくなる現実との乖離(かいり)も時に存在する。瞬間最大風速的に上がったランキングは水ものであり、その数字の正しい評価は、1年過ぎてみないと下せないというのが現実だ。

 では、この厳密にしてやっかいな力の序列は、いかにして決まるのか?
 基本的にランキングは、各選手が1年間で出場したトーナメントのうち、成績上位18大会(四大大会やマスターズなどは強制的にカウントされる)で獲得したポイントの累計で決まる。そしてポイントは、獲得から1年経過すると、きれいさっぱり消失してしまう。そのため、ある大会で優勝などの好成績を残した場合は、そこからの1年間は高いランキングを維持できるが、それを過ぎると一気に急下降する危険とも隣り合わせなのだ。時折、週が変わった途端に順位を急激に落とす選手がいるのは、このようなシステム上のカラクリからだ。

 10月末のBNPパリバ・マスターズ3回戦で、リシャール・ガスケ(フランス)に敗れた錦織圭(日清食品)は、11月4日発表のランキングで17位につけ、今シーズンの全日程を終えた。この数字は、昨年の同時期の19位とほぼ同じではあるが、一年を経てなおトップ20にいることは、冒頭で述べた不文律になぞれば、その地位は掛け値なしの「本物」ということである。世界中の多くの“将来有望な若手”がトップ20に短期間入っては姿を消していくことを思えば、これは現状維持にとどまらない評価を得るべきものだ。

 われわれ外野は、どうしても選手の成績や活躍の度合いを、大きな大会ごとの“点”で捉え、優勝などの飛び抜けた成績を求めがちだ。だが、実際にツアーを戦う選手たちは、“線”としての安定感や継続性を重要視する。今シーズンを戦い終えた上での「これまでで一番良い年」という錦織の言葉は、ケガなどで長期離脱することなく、年間を通じ安定した結果を残せた実績に裏打ちされたものだろう。

トップ10を目前にして狂い始めた歯車

「ちょっとビックリです。正直、実際の力は20位くらいだと思っているので……」
 錦織の口からこの言葉が発せられた時は、正直、こちらが少しビックリした。全仏オープンを終え、ウィンブルドンを控えた6月末。ランキングは11位まで上がり、彼が年頭に目標として掲げたトップ10に、限りなく肉薄していた時期の発言である。

 この当時、錦織の周囲は色めき立っていた。ここで言う“周囲”とは、日本メディアだけを指すのではない。現在の男子テニス界は上位勢盤石の黄金時代ではあるが、翻せば、それは若手不在や新陳代謝不足を意味する。そのような停滞した状況を打破する次代のスター候補として、世界のメディアが白羽の矢を立てたのが、23歳の日本人だ。フランス、ドイツ、英国……初夏の欧州シリーズでは、錦織が足を運ぶ先々の国で、新聞などに「Kei Nishikori」の活字が躍った。

 恐らくは、錦織の中で意識と肉体の歯車が微妙に狂い始めたのは、このころだ。公の会見などでは「僕が若手の先陣を切っていけたらうれしい」あるいは「外野の声にはノータッチ」などと発言していたが、果たしてどこまでが真意だったか? 錦織は過去数年間、掲げた目標をことごとく実現し、“有言実行の男”とも呼ばれてきた。だが、本人は「常に理想よりも少し下に目標を言っていたので、達成できないとマズイですね」と、その内実を明かしたこともある。そんな彼が「難しいのは分かっている」上で、あえて背伸びをし、掲げたのが“トップ10”という聖域だったのだ。

 実は、今年5月から6月にかけて錦織がランキングを大きく伸ばすことができたのは、冒頭で説明した、ランキングシステムのカラクリが大きく関係している。昨年、錦織は、全仏オープンをはじめとする複数の大きな大会を欠場したため、5〜6月は失うポイントをほとんど持っていなかった。つまり、今年のこの時期は、勝てば勝つだけポイントを上乗せできた期間。本人もそのことを重々承知した上で、気温や気候、そしてコートサーフェスも赤土から青芝へと劇的に移り変わる過酷な欧州シリーズを、高いモチベーションで走り抜けてきた。

 結果、狙い通りにランキングは上がったものの、その先で彼を待ち受けていたのは「いつトップ10に入るんだ?」という、周囲からの脅迫めいた期待。さらには「実力的には20位くらい」という自身の皮膚感覚と、数字として表立つランキングとの乖離だったのだろう。その戸惑いやプレッシャーが、8月の全米オープン初戦敗退に象徴される夏の不調、そして「モチベーションというか、活気が湧いてこない」という当時の発言の根底にある。「長い間テニスをやってきて、こんなことは初めて」というこの時期こそが、今シーズン最大の正念場だった。

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著者プロフィール

テニス雑誌『スマッシュ』などのメディアに執筆するフリーライター。2006年頃からグランドスラム等の主要大会の取材を始め、08年デルレイビーチ国際選手権での錦織圭ツアー初優勝にも立ち合う。近著に、錦織圭の幼少期からの足跡を綴ったノンフィクション『錦織圭 リターンゲーム』(学研プラス)や、アスリートの肉体及び精神の動きを神経科学(脳科学)の知見から解説する『勝てる脳、負ける脳 一流アスリートの脳内で起きていること』(集英社)がある。京都在住。

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