アンダー世代に浸透する吉武イズム=自立した選手の育成に注力する指導法

安藤隆人

吉武サッカーを語る上でのキーワード

個々に自立を促す指導方法は、選手たちに確実に浸透している 【写真は共同】

 1つの夢を達成した吉武監督は、次なるチャレンジに出る。96年、大分トリニータジュニアユースの立ち上げを任されることになったのだ。

「当時、僕はたまたま大学院に行って、心理学を勉強していた。なので、学生の立場だったので、立ち上げの1年間だけ手伝うよという形で始めたんです。でも、やり出したら面白くなったので、結果10年間やったんです」

 このとき、吉武監督はクラブにある条件を出したという。
「条件として、『すべて僕に任せてほしい』と言いました。立ち上げるんだったら、保護者のことから、人数のことなどすべてを任せてほしいと。当時、僕ははっきりと『勝ちは目指しません』と言い切りました。『個をいかに伸ばすかにスポットを当ててやっていくので、試合には勝てないかもしれませんよ』と」

 あくまで自分の信念を貫く姿勢を見せた。それは教育的な観点もあり、勝利に盲目になるのではなく、人としてもサッカー面でも自立をしていってほしいという、願いの表れでもあった。

 この『自立』という言葉は、吉武サッカーを語る上での一つのキーワードとなる。選手に自ら考えさせ、その考えを多く持てるように、技術にフォーカスを当てながら、自分で判断し、実行する選手、いわゆる自立した選手の育成に注力をした。

ユニークなアプローチ方法

 2006年まで大分ジュニアユースにかかわり、清武弘嗣らを輩出。さらにナショナルトレセン九州コーチを兼任し、指導者としての経験を積んだ彼に、また新たなステージが用意された。

「06年になるともう有給休暇がなくなってしまって、もう教師はできないと。どちらも辞めたくないのですが、トレセンの活動に行けなくなる。『もうトレセンはできないかも』と言ったら、日本サッカー協会の田島幸三さんらが、『じゃあ、契約するか』と言われました。みんなからは『このご時世に公務員を辞めるのか』と反対をされましたが、僕はこういう性格なので、協会と契約をしました」

 09年、育成のスペシャリストとして、11年メキシコU−17W杯を目指す、U−15日本代表監督に就任。ステージを世界に上げて、彼の挑戦は始まった。

 アジアを順調に突破したチームは、圧倒的なポゼッションサッカーを引っさげ、メキシコの地で躍動する。ジャマイカ、フランス、アルゼンチン、ニュージーランドを相手に、ポゼッションで圧倒し、無敗でベスト8に進出した。準々決勝ではブラジルを相手に2−3と敗れたが、彼らが見せた全員でパスを繋ぎ、サイドバックや2列目が矢継ぎ早にゴール前に飛び出していくサッカーは、世界に大きなインパクトを与えた。

「日本人の俊敏性、勤勉さをフルに生かし、フィジカルや高さなどのウィークポイントを目立たせないサッカーをする。相手のストロングポイントで勝負をしないサッカー」。このサッカーを実現させるための吉武監督のアプローチは実にユニークだった。ポゼッションの練習やピッチ上のことだけではなく、個々の感性を磨いたり、イメージの共有を図るため、映画鑑賞会やさまざまな人物の講演会を開いて、その後ディスカッションをしたりと、あくまで選手主体で、考えさせるように仕向けていた。それはピッチの中でも一体感として反映されていた。

重要視する「表と裏の考え」

 この明確な指標を評価した原博美技術委員長は、吉武監督にもう一世代を任せることをすぐに決めた。こうして、吉武監督は日本では異例となる2世代連続のU−17世代代表監督に就任し、今大会のラウンド16進出という結果に至った。

「今後もこの戦いを続けて、勝ったり負けたりしながら、成長していってほしい。この中から1人でも多くA代表に入って、海外を経験できる選手になってほしい」

 吉武監督はすでに、またこの次の世代、2015年U−17W杯チリ大会を目指すチームの監督就任が決まっている。実に3世代連続して、吉武イズムは選手たちに注入される。

「サッカーから学んだのは『見方』で、どちらから見るかによって、丸に見えたり、三角、四角に見えたりする。数学とも関係があって、側面図なのか底面図なのかによって全く見方が違う。『悪い』と言われていることが、実はストロングポイントだったりもするし、ストロングポイントだと思っているところがウィークポイントだったりもする。多角的な見方ができれば一番いい。表があれば裏もある。そういう表と裏の考えからやっていかないといけない。例えば、まず表はロングキックだとする。ショートパスで奪われたら、これはロングを選択すべきだった。ロングパスで取られたら、ショートだったなと。ドリブルもある。そういうことが分かれば、どんどん賢くなる」

 数学の先生から、世界を舞台に戦う指揮官へ。変化を遂げても、吉武監督の根本は変わらない。あくまで『吉武先生』であり、選手という名の生徒の前で、サッカー的、教育的な観点から独自の手法で教べんをとり続ける。

<了>

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著者プロフィール

1978年2月9日生まれ、岐阜県出身。5年半勤めていた銀行を辞め単身上京してフリーの道へ。高校、大学、Jリーグ、日本代表、海外サッカーと幅広く取材し、これまで取材で訪問した国は35を超える。2013年5月から2014年5月まで週刊少年ジャンプで『蹴ジャン!』を1年連載。2015年12月からNumberWebで『ユース教授のサッカージャーナル』を連載中。他多数媒体に寄稿し、全国の高校、大学で年10回近くの講演活動も行っている。本の著作・共同制作は12作、代表作は『走り続ける才能たち』(実業之日本社)、『15歳』、『そして歩き出す サッカーと白血病と僕の日常』、『ムサシと武蔵』、『ドーハの歓喜』(4作とも徳間書店)。東海学生サッカーリーグ2部の名城大学体育会蹴球部フットボールダイレクター

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