アンダー世代に浸透する吉武イズム=自立した選手の育成に注力する指導法
吉武サッカーを語る上でのキーワード
「当時、僕はたまたま大学院に行って、心理学を勉強していた。なので、学生の立場だったので、立ち上げの1年間だけ手伝うよという形で始めたんです。でも、やり出したら面白くなったので、結果10年間やったんです」
このとき、吉武監督はクラブにある条件を出したという。
「条件として、『すべて僕に任せてほしい』と言いました。立ち上げるんだったら、保護者のことから、人数のことなどすべてを任せてほしいと。当時、僕ははっきりと『勝ちは目指しません』と言い切りました。『個をいかに伸ばすかにスポットを当ててやっていくので、試合には勝てないかもしれませんよ』と」
あくまで自分の信念を貫く姿勢を見せた。それは教育的な観点もあり、勝利に盲目になるのではなく、人としてもサッカー面でも自立をしていってほしいという、願いの表れでもあった。
この『自立』という言葉は、吉武サッカーを語る上での一つのキーワードとなる。選手に自ら考えさせ、その考えを多く持てるように、技術にフォーカスを当てながら、自分で判断し、実行する選手、いわゆる自立した選手の育成に注力をした。
ユニークなアプローチ方法
「06年になるともう有給休暇がなくなってしまって、もう教師はできないと。どちらも辞めたくないのですが、トレセンの活動に行けなくなる。『もうトレセンはできないかも』と言ったら、日本サッカー協会の田島幸三さんらが、『じゃあ、契約するか』と言われました。みんなからは『このご時世に公務員を辞めるのか』と反対をされましたが、僕はこういう性格なので、協会と契約をしました」
09年、育成のスペシャリストとして、11年メキシコU−17W杯を目指す、U−15日本代表監督に就任。ステージを世界に上げて、彼の挑戦は始まった。
アジアを順調に突破したチームは、圧倒的なポゼッションサッカーを引っさげ、メキシコの地で躍動する。ジャマイカ、フランス、アルゼンチン、ニュージーランドを相手に、ポゼッションで圧倒し、無敗でベスト8に進出した。準々決勝ではブラジルを相手に2−3と敗れたが、彼らが見せた全員でパスを繋ぎ、サイドバックや2列目が矢継ぎ早にゴール前に飛び出していくサッカーは、世界に大きなインパクトを与えた。
「日本人の俊敏性、勤勉さをフルに生かし、フィジカルや高さなどのウィークポイントを目立たせないサッカーをする。相手のストロングポイントで勝負をしないサッカー」。このサッカーを実現させるための吉武監督のアプローチは実にユニークだった。ポゼッションの練習やピッチ上のことだけではなく、個々の感性を磨いたり、イメージの共有を図るため、映画鑑賞会やさまざまな人物の講演会を開いて、その後ディスカッションをしたりと、あくまで選手主体で、考えさせるように仕向けていた。それはピッチの中でも一体感として反映されていた。
重要視する「表と裏の考え」
「今後もこの戦いを続けて、勝ったり負けたりしながら、成長していってほしい。この中から1人でも多くA代表に入って、海外を経験できる選手になってほしい」
吉武監督はすでに、またこの次の世代、2015年U−17W杯チリ大会を目指すチームの監督就任が決まっている。実に3世代連続して、吉武イズムは選手たちに注入される。
「サッカーから学んだのは『見方』で、どちらから見るかによって、丸に見えたり、三角、四角に見えたりする。数学とも関係があって、側面図なのか底面図なのかによって全く見方が違う。『悪い』と言われていることが、実はストロングポイントだったりもするし、ストロングポイントだと思っているところがウィークポイントだったりもする。多角的な見方ができれば一番いい。表があれば裏もある。そういう表と裏の考えからやっていかないといけない。例えば、まず表はロングキックだとする。ショートパスで奪われたら、これはロングを選択すべきだった。ロングパスで取られたら、ショートだったなと。ドリブルもある。そういうことが分かれば、どんどん賢くなる」
数学の先生から、世界を舞台に戦う指揮官へ。変化を遂げても、吉武監督の根本は変わらない。あくまで『吉武先生』であり、選手という名の生徒の前で、サッカー的、教育的な観点から独自の手法で教べんをとり続ける。
<了>