香川真司が痛感した試合勘不足=東欧の地で誓ったクラブでの現状打破

元川悦子

内容と結果を追い求めていたが…

相手の厳しいマークに遭ったセルビア戦。香川にとっては消化不良の一戦となった 【Getty Images】

 9月10日のガーナ戦(横浜)で、左サイドからドリブルで切り込み鋭いゴールを挙げ、移籍2年目のマンチェスター・ユナイテッドで直面する苦境から抜け出すきっかけをつかんだと思われた香川真司。だが、その後もデビッド・モイズ監督から出番を与えられる回数は少なく、この1カ月では9月17日のUEFA(欧州サッカー連盟)チャンピオンズリーグ・レバークーゼン戦と、9月28日のプレミアリーグ・ウエストブロミッチ戦に先発しただけだった。前者は後半26分までピッチに立ったものの、後者は前半のみで交代。自身のパフォーマンスを思うように高められない状態で、今回のザックジャパン10月2連戦を迎えることになった。

 対戦相手のセルビアとベラルーシは、2014年ワールドカップ(W杯)・ブラジル大会の予選敗退国。だが、セルビアにはブラニスラフ・イバノビッチ(チェルシー)を筆頭に、プレミアリーグ所属のDFがズラリと並び、ベラルーシもフィジカル色の強いロシアでプレーする屈強な男たちをそろえる。加えて日本はアウエーを大の苦手としている。どちらの試合も確実に勝てる保証はなかった。

「今の代表はヨーロッパでやってる選手が多いから、アウエーの難しさは1人ひとりがよく自覚してる。いきなり代表が集まってアウエーで戦うのは本当に難しい。それは1人ひとりが意識し続けることで解決できるところでもある。アウエーの中でどこまで攻撃を組み立てて、自分たちが主導権を握ってやれるか。そこに僕はしっかりチャレンジしたいですし、勝ちきって得点もいい形で生まれるようにやっていきたいと思います」

 ノビサド(セルビア)合宿に合流した直後の香川は、高いレベルの内容と勝利という結果の両方を追い求める強い意思を示した。

「消化不良だった」セルビア戦

 時差もほとんどなく、気象条件やピッチコンディションもドイツやイングランドと似通っているだけに、セルビア戦は彼にとってやりやすい環境だったはずだ。ところが、ノビサド・カラジョルジェ・スタジアムでの試合が始まってみると、香川は明らかに精彩を欠く。長友佑都(インテル)と形成する左のホットラインを相手が徹底マークしてきたこともあり、開始25分くらいは自陣に押し込まれ、前へ出ていけない。時折、ボールを持ってもトラップミスやパスミスが目立ち、いい時の鋭さが見られない。前半31分に訪れた長谷部誠からのパスを受けGKと1対1になった決定機も、シュートをGK正面に蹴ってしまう。後半になって多少高い位置は取れるようになったが、最大の武器であるゴールへ迫る鋭さは陰を潜め、後半41分に乾貴士との交代を強いられた。

「前半の前半は特に相手が高い位置を取ってきて、真司が相当低い位置まで下がって守備をしないといけない状況になった。そうなるとなかなか上がることもできないし、体力も消耗する。相手のカウンターが怖くて後ろに余りすぎていたかなと。リスクを冒して飛び出していく選手がもっといて、スイッチを入れる時にはみんなで相手ゴールに襲い掛かるようなサッカーをしないと勝つのは難しい」と長友も厳しい表情で語っていたが、香川もまさに同意見だった。

「率直に言って消化不良だった。やっぱり最後のアクションやアイデアがなければ崩せないというのをやりながらすごく感じたし、単純にクロスボールを放り込んでも厳しいというのも目に見えていた。だからこそ、カウンターからのチャンスでもっと精度を高めるとか、何かアクションを加えないと厳しい。あれだけブロックを敷かれた状況だと攻撃の糸口は正直、見つからなかった」と彼自身、反省しきりだった。

どうすれば攻撃を活性化できるのか

 完敗といっていいセルビア戦をいい教訓にして何とか流れを変えたいと思い、次なる戦いの地・ベラルーシに入った香川。現地での調整時間はわずか2日しかなかったが、今の自分に何が必要なのか、どうすれば攻撃を活性化できるのかとずっと考え続けていた。長谷部や本田圭佑を中心にミーティングで活発な議論が繰り返されたこともあり、彼の中でも進むべき道が見えてきたのだろう。ミンスク初練習の後、香川はこんな話をしていた。

「相手が自分たちのサイドにプレスをかけてきたら何もできないと言っていたら、話が終わっちゃう。フィジカルの強い相手だったり、厳しいプレッシャーをかけてくる組織的な守備の相手に対してどういう戦いをするかという意味で、チームとしての方向性を見つけて行かないといけないと感じました。実際、セルビア戦の僕らはつねに数的優位じゃなかったですし、数的同数で守られていた。もっと攻めに人数をかけるべきだし、動きの質と量を増やして相手を惑わしていかないと引かれた相手には苦しい。リスクを冒してトライしていかないといけないと思います」と、彼は攻撃の積極性をあらためて頭にたたき込んで、ベラルーシ戦に挑む決意を固めた。

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著者プロフィール

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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