桧山進次郎と藤本敦士――「判官贔屓」な阪神ファンに愛された虎戦士の引退

鳴尾浜トラオ

阪神ファンは「判官贔屓」

マジメで謙虚で一生懸命――。順風満帆とはいかなかった事もある桧山だが、そんな姿をファンは応援し続けた 【写真は共同】

 阪神一筋22年、桧山進次郎が今季限りの引退を発表した。愛されて、惜しまれて引退できる選手は幸せだが、桧山は特にファンに愛された選手だったと思う。

 あえて乱暴な物言いをすれば、阪神ファンという生き物の本質は「判官贔屓」だ。

判官贔屓【ほうがんびいき】
〔源義経が兄頼朝に滅ぼされたのに人々が同情したことから〕弱者や薄幸の者に同情し味方すること。また、その気持ち。はんがんびいき。(大辞林)

 負けるのが好きというワケでは決してない。ただし「勝つ者が好き」「強い者が好き」という精神性もない。

「次は頑張れ」

「今に勝てる」

 そんな風に考えがちな性質を持つのだと思う。巨人という絶対的な存在があったのが日本プロ野球の歴史なのだから、阪神ファンが判官贔屓的性格を強めたのは無理からぬことだろう。そういえば3度監督に就任したムッシュタイガース吉田義男のあだ名は牛若丸だ。

マジメで謙虚で一生懸命な桧山の姿

 そんな阪神ファンに愛されるべくして愛されたのが桧山進次郎だ。亀山努、新庄剛志の活躍で2位に躍進した92年にルーキーとしてデビュー。翌年、フレッシュオールスターゲーム(当時はフレッシュスターゲーム)でMVPを獲得するも基本的には下積み時代。時はまさに暗黒時代だった。希望の見えないチーム状態の中、「若き4番打者」として抜てきされ、やがてレギュラーに。ここで不動の地位を確保……していたら、ここまで長く現役生活を続けていただろうか、ここまでファンに愛される選手になっただろうか。

 まるで監督の不興を買ったかのように地位を奪われる。毎年のように新外国人を当てられる。一度は「将来の4番」にと期待を掛けたが、それが順調にいかなかったことで、なぜか逆につらく当たられているかのように見えた。確かに落ちる球にもろかったが、マジメで謙虚で一生懸命の桧山をファンは応援した。

 代打で桧山が登場すると、この日一番の歓声が球場全体から沸き起こる。今やもうそれは「お約束」であり「様式美」になってしまったので、なぜそうなったのかは忘れ去られ気味だ。もちろん代打成功率が高かった(時もあった)ということも一因だが、もともとは違った。

「良いから桧山使えよ!」

「桧山はホントはできるヤツ」

 阪神ファンは思いっきり桧山に肩入れした。その気持ちの現れが、「桧山がんばれ!」「桧山打ってくれ!」の声になり、スタンドを包む大歓声になった。桧山に送られる拍手と歓声に、ただのファンでしかない私まで胸が熱くなり、涙がこみ上げてきたのを今でもハッキリ憶えている。

 2000年代の虎黄金期、桧山はすでにベテランの域に達していたが、あり方は同じだった。03年、「若き4番打者」の称号は同じライトのポジションを争う濱中おさむのものになっていた。桧山はキャンプから慣れない一塁守備をやらされた。18年ぶりの歓喜に沸いたこの年、早々に故障リタイアした濱中に代わって、4番ライトのポジションにいたのは桧山だった。あの時も代打で登場した桧山をスタンドがものすごい声援で応援していたものだ。

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著者プロフィール

自称阪神タイガース評論家。ブログ「自称阪神タイガース評論家」は2003年12月からほぼ毎朝更新中(ただし10〜12年は、阪神タイガース公式携帯サイトにて「トラオの視点」として連載)。著書に「虎暮らし(2008年/扶桑社)がある。虎バカマガジンWEB編集長。

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