桧山進次郎と藤本敦士――「判官贔屓」な阪神ファンに愛された虎戦士の引退
阪神ファンは「判官贔屓」
マジメで謙虚で一生懸命――。順風満帆とはいかなかった事もある桧山だが、そんな姿をファンは応援し続けた 【写真は共同】
あえて乱暴な物言いをすれば、阪神ファンという生き物の本質は「判官贔屓」だ。
判官贔屓【ほうがんびいき】
〔源義経が兄頼朝に滅ぼされたのに人々が同情したことから〕弱者や薄幸の者に同情し味方すること。また、その気持ち。はんがんびいき。(大辞林)
負けるのが好きというワケでは決してない。ただし「勝つ者が好き」「強い者が好き」という精神性もない。
「次は頑張れ」
「今に勝てる」
そんな風に考えがちな性質を持つのだと思う。巨人という絶対的な存在があったのが日本プロ野球の歴史なのだから、阪神ファンが判官贔屓的性格を強めたのは無理からぬことだろう。そういえば3度監督に就任したムッシュタイガース吉田義男のあだ名は牛若丸だ。
マジメで謙虚で一生懸命な桧山の姿
まるで監督の不興を買ったかのように地位を奪われる。毎年のように新外国人を当てられる。一度は「将来の4番」にと期待を掛けたが、それが順調にいかなかったことで、なぜか逆につらく当たられているかのように見えた。確かに落ちる球にもろかったが、マジメで謙虚で一生懸命の桧山をファンは応援した。
代打で桧山が登場すると、この日一番の歓声が球場全体から沸き起こる。今やもうそれは「お約束」であり「様式美」になってしまったので、なぜそうなったのかは忘れ去られ気味だ。もちろん代打成功率が高かった(時もあった)ということも一因だが、もともとは違った。
「良いから桧山使えよ!」
「桧山はホントはできるヤツ」
阪神ファンは思いっきり桧山に肩入れした。その気持ちの現れが、「桧山がんばれ!」「桧山打ってくれ!」の声になり、スタンドを包む大歓声になった。桧山に送られる拍手と歓声に、ただのファンでしかない私まで胸が熱くなり、涙がこみ上げてきたのを今でもハッキリ憶えている。
2000年代の虎黄金期、桧山はすでにベテランの域に達していたが、あり方は同じだった。03年、「若き4番打者」の称号は同じライトのポジションを争う濱中おさむのものになっていた。桧山はキャンプから慣れない一塁守備をやらされた。18年ぶりの歓喜に沸いたこの年、早々に故障リタイアした濱中に代わって、4番ライトのポジションにいたのは桧山だった。あの時も代打で登場した桧山をスタンドがものすごい声援で応援していたものだ。