“代打の神様” 阪神・桧山が引退表明「この22年間は宝物」
バロメーターはシートノック「体力落ちたなぁと」
近年は“代打の神様”の愛称が定着。4番、選手会長…さまざまな立場でチームを支え、存在感を発揮した 【写真は共同】
――分岐点はどの辺り?
「どの世界もそうだと思うんですけど、30歳ぐらい。若い時の勢いだけじゃダメで考えなあかん。年齢に応じて考え方も変わっていきましたし、自分の場合は野球を通じて勉強させてもらいました」
――今年は金本(知憲)さんが抜けてのシーズンだったが?
「よくこの春にそういう質問あったんですけど、抜けて今まで相談してたものを自分がやっていかないといけなかった。その分、(これまでの)僕の立場を関本(賢太郎)であったり、鳥谷(敬)であったりがして。時代の流れなんで上手いことチームとして機能していけばいいです」
――ジャイアンツはどういう存在だった?
「ちっちゃい時から阪神ファンで、テレビにしがみついて見ていた。まさか自分がタイガースのユニホームを着るとは思っていなかったし、デビュー戦もジャイアンツ戦。OBの方からもジャイアンツ戦は1試合の深みが違うと言われましたし、ファンの方も感じ取って応援して、ほかとはちょっと違う異様な雰囲気です」
――プロでやっていけると思ったのはいつ頃?
「2〜3年かけて体力作りをしないといけないと、1年目に痛感した。1軍ではムリだなと。即戦力として採ってもらったけど、遠回りかもしれないけど数年後に生きてくると。そこからですね、体力的に自信持てるようになったのは」
――今でも体は元気?
「僕のポリシーで打って守って走ってができないと。もちろんシートノックに入ってますし、(シートノックは)バロメーター。急に監督から『ライト行け』と言われたら『分かりました』(と言えるように)、ヒット打った後に代走が出なくても大丈夫なように。チーム事情もありますけど。そのバロメーターのシートノックを、体に違和感があるから回避じゃないですが、試合前の練習で体力落ちたなぁと感じて。ムリせんとこ、とそれはあかんやろという自分がいた。自分にウソはつけなかった。月曜(2日)に横浜移動だったんで、親に言いにいきました」
――残りシーズンは?
「チームには試合が残されていますし、全力で全うするのがプロ野球選手。自分自身は1本でも良いところで出させてもらったら打ちたいですね。身近なところなら、この前メッセンジャーが好投していて打ったらヒーローやったなぁとか。(引退を)チビちゃんに言ったらあっけらかんとしていました」
4番、代打…「いろんな立場を経験させてもらった」
「親のことに触れるとやっぱり(涙が出そうに)なりますけど。いろんな巡り会いの中でプレーができて、この22年間は宝物。今後も宝物を作れるようしたいですね。後は忘れ物(日本一)を取りにいっていないんでね」
――日本シリーズは違う?
「あれを味わうと野球に対する考え方変わってきます。考えるレベルが上がるので、選手として経験しとくべき」
――辛いと楽しいの割合は、どちらが多かった?
「それこそ野球は失敗の連続。でもそれを肥やしにして伸びて行く、成長して行く。そう思うと苦しいことの方が多いかな。22年間すごい道のりやったな。順序良くきたわけじゃないけど、1人で何人分もの経験をしたような感じ。それこそファームで育ててもらって、4番を打たせてもらって、控えになって、自分の力で4番打つようになって、選手会長やって、優勝させてもらって、今度は代打やって。全て経験したから控え選手の気持ちもレギュラー選手の気持ちも分かる。いろんな立場を経験させてもらって、人間的に成長させてもらって、今後にどう生かすかは自分次第。常に謙虚な気持ちで野球に携わっていけるよう、良い社会人になりたいですね」
<了>