最速157キロの16歳、済美・安楽智大=幅広げた投球術 悪戦苦闘でつかんだ手応え

寺下友徳

スタンドが沸いた1球

地方大会では最速157キロをマークした済美の安楽。愛媛県勢の夢をのせて、“怪物”16歳が夏の舞台に挑む 【写真は共同】

「157キロ」

 7月27日・愛媛大会準決勝、6回裏2死走者なし。済美・安楽智大(2年)は、金子昴平(3年)がミットを構える外角低めにストレートを突き刺し、川之江4番・大西達己(3年)を3球三振に仕留めた。直後、バックスクリーンに出現したスピード。その瞬間、愛媛県松山市南部に位置する坊ちゃんスタジアムから巻き起こる声にならない声。今はやりの言葉で表現すれば「じぇじぇじぇ!」がスタンド中に沸き起こった感じであった。

 そんな反応も当然であろう。テレビ放送表示ながら初戦の2回戦・帝京第五戦では自己最速を1キロ更新する「153キロ」。準々決勝・今治工業戦では公式表示で自己最速「154キロ」を出した。ここまでに、自らが最初の到達点としていた「155キロ」を目前にしていたものの、それを一気に突き抜ける数字を出すとは誰もが予想していなかったからだ。

「みんなの想いを乗せた157キロでした」

 今治西との決勝戦では連投にもかかわらず最速152キロを3度、150キロ台は112球中11球マーク。昨夏の愛媛大会準決勝で敗れた相手へのリベンジを達成した。準優勝を果たしたセンバツに続き春夏連続、夏は5年ぶり4度目となる甲子園出場へ済美を導いた安楽は、大会後に「157キロ」が出た理由をこう振り返った。それはまた、そこまでの道のりが山あり谷ありだったことをも意味している。

センバツ後、練習試合での悪戦苦闘

 愛媛大会5試合登板(うち4完投)40回3分の1を投げて、わずか被安打24、奪三振46、与四死球5、失点5(自責3)。防御率0.67の安定感からは信じがたいデータだが、以下が5月以降、夏までに安楽智大が練習試合で残した投球成績の一端だ。

・5月19日 鳴門渦潮(徳島)戦
5回 被安打9 奪三振6 与四死球0 失点6 自責点3

・6月30日 明徳義塾(高知)戦
8回完投 被安打9 奪三振3 与四死球3 失点5 自責点3

 センバツ2試合目の3回戦・済々黌(熊本)戦で右腕に打球が直撃。センバツ後に骨挫傷の診断を受けた。「キャッチボールをして投球の感覚をつかんでいく」彼にとって、5月の春季四国大会直前まで投球禁止を余儀なくされて生まれた感覚のズレは、センバツで772球を投じた肩の休養以上に大きいものだった。

 「練習試合では6連敗もあって、思うような投球ができず迷惑を掛けました。監督さんをはじめ、仲間に声を掛けてもらって助けてもらいました」と本人も認めるようにストレートは走らず、変化球の精度も定まらず。次々と対戦相手から快打を食らうマウンド上の姿と、安楽対策をさまざまな形で練る他校の状況が伝わるにつれ、「夏は大丈夫なのか?」と動向を心配する周囲の声は日増しに高まっていた。
 いや、最も近くで安楽を見ている指揮官を除いては。

「本人は焦ってもがいているけれど、僕は心配していません。本番までには立ち直ると思いますよ」

 愛媛大会直前、こう予言していたのは66歳・上甲正典監督である。

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著者プロフィール

1971年、福井県生まれの東京都東村山市育ち。國學院久我山高→亜細亜大と進学した学生時代は「応援道」に没頭し、就職後は種々雑多な職歴を経験。2004年からは本格的に執筆活動を開始し、07年2月からは関東から愛媛県松山市に居を移し四国のスポーツを追及する。高校野球関連では「野球太郎」、「ホームラン」を中心に寄稿。

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