東アジアカップで感化された浦和の代表勢=Jリーグの舞台で見せる成長の片鱗

神谷正明

気持ちの重要性を再認識した森脇

日本代表として東アジアカップに出場した浦和の(左から)槙野、原口、森脇。国際舞台でさらなる向上心が芽生えたようだ 【Getty Images】

「気持ちには引力がある」

 これは浦和レッズの森脇良太がプロになる前から大事にしている言葉だ。サンフレッチェ広島の下部組織でプレーしているとき、恩師の森山佳郎氏からたたき込まれ、プロになった今でも土台になっている精神だが、東アジアカップで日本代表メンバーの一員として戦っているときも、気持ちの重要性をあらためて認識させられたという。

 特にそのことを痛感させられたのが開催国の韓国との一戦だった。

「韓国戦は非常に難しいゲームで、ベンチから見ていて、選手たちは非常に苦しそうだなと思っていた。ずっと攻め込まれる時間帯が続いたので。でも、苦しいときでも、受けるときは受けて忍耐強く戦わなければいけない。そうしたらチャンスは訪れた。外から見ていて、苦しくても我慢していれば、必ずああいうチャンスは訪れるということは、韓国戦であらためて感じることができた」(森脇)

 相手はサポーターの後押しを受け、勢いに乗って攻勢をかけ続けてきた。それまでの2試合で好調なところを見せていた攻撃陣は沈黙を強いられ、自陣でひたすら耐え続ける時間が長かった。しかし、選手たちは最後まで心が折れることなく守備で奮闘。その結果、終了間際に柿谷曜一朗の劇的決勝弾が飛び出し、優勝を成し遂げた。

 韓国の地で「気持ちの引力」を再確認した森脇は、さっそくJリーグの舞台で恩師の言葉の正当性を証明してみせた。7月31日に行われた中断明け初戦のジュビロ磐田戦、浦和は自分たちのサッカーが全くできず、終盤までビハインドを背負う苦しい展開だった。しかし、終了間際に同点に追いつくと、後半アディショナルタイムには決勝点を決めて逆転勝利。その劇的ゴールを決めたのが森脇だった。

「気持ちが強くても、ボールがこっちに転がってこないことはたくさんある。だけど、信じ続ければ、どこかで大きなチャンスが来ると思って今までやってきた。そういう思いが強ければ強いほど良い方向にいく」。森脇はこれからも気持ちの部分を大切にして、さまざまな困難を乗り越えていくつもりだ。

「優勝」を合言葉にまとまっていった烏合の衆

 東アジアカップで「チームがまとまることで大きな力が生まれる」ことをあらためて学んだのは槙野智章だ。

 韓国に集まったメンバーは、それまでほとんど一緒にプレーしたことがない選手ばかりだった。ザッケローニ監督から初めて指導を受けるという選手も多く、いわば烏合(うごう)の衆だ。指揮官の馴染みのない要求に戸惑いの表情を浮かべることもしばしば。しかも、監督からは結果も求められていない。

 選手たちが個のアピールに走れば、いつ空中分解してもおかしくなかった。しかし、チームがバラバラになって機能しないようでは、アピールもへったくれもない。そこで槙野は僚友の森脇を巻き込み、監督の意向がどうであれ「優勝」というキーワードを合言葉にすることでチームが同じ方向を向くよう働きかけた。

「チームが良いときは、みんなからポジティブな声が出てくるけど、連戦で疲れたとき、チームに活を入れるときに『優勝』は大事な言葉だったのかなと思う。キーワードになっていた」

 チームがちょっとうまくいっていないと感じたとき、槙野はキーワードをチームメートにぶつけることで刺激を与えた。最初は選手の間からポツポツとしか聞こえてこなかった「優勝」という言葉も、中国戦を終え、オーストラリア戦を終え、韓国戦に向かうころには多く選手からポンポン飛び出すようになっていた。

槙野は代表での経験を浦和に還元できるか

 烏合の衆だったチームは短期間でまとまり、優勝という結果を手に入れるまでに成長した。この大会で大きなアピールに成功した柿谷は「槙野くんや森脇くんがすごく盛り上げてくれて、僕らも馴染みやすかった。すごい感謝している」とムードメーカーに賛辞を送った。

 所属チームの浦和は、広島戦では対策が奏功して好ゲームを見せたものの、最近は低調なパフォーマンスに終わる試合が続いている。短期間で急成長を遂げてきた浦和なだけに、ちょっとした壁にぶつかっている。中だるみの時期に突入しつつあるが、リーグタイトルを勝ち取るためにはこの障害を乗り越えなければいけない。

「短い期間で普段やっていない選手とやると『優勝』という目標が定まりやすいけど、1年間という長いスパンで同じメンバーでやっていると、どこかでブレが生じてくる。そこでいかにブレずに同じ方向を向けるか。シーズンを戦う上で、試合に出ている選手、出ていない選手は関係なく、全員が同じ方向を目指すことが大事。今、このチームが試されているときなのだと思っている」(槙野)

 韓国から帰ってきた槙野は今、その経験をどうやってチームに還元しようか思案している。

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著者プロフィール

1976年東京都出身。スポーツ専門のIT企業でサッカーの種々業務に従事し、ドイツW杯直前の2006年5月にフリーランスとして独立。現在は浦和レッズ、日本代表を継続的に取材しつつ、スポーツ翻訳にも携わる。

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