山崎武司「次のドラゴンズの選手に夢を託したい」=引退会見 一問一答

ベースボール・タイムズ

笑顔で記者会見に臨み、今季限りでの現役引退を表明する中日の山崎武司内野手=29日、名古屋市中区 【共同】

 44歳の現役最年長野手、山崎武司(中日)が29日、名古屋市内で記者会見し、今季限りでの現役引退を表明した。

 報道陣が詰めかける記者会見場に現れた山崎。語った言葉の節々に「現役に対する未練」をにじませた。それでも、話題が自身の家族に及ぶと山崎らしい笑顔を見せ、終始和やかな雰囲気で会見は進んだ。

 以下は山崎武司選手のコメント。

2軍通告で決意した引き際

「いろいろ報道等がありましたが、今シーズンをもちまして引退することを決意いたしました。そのいきさつと言いますと、先日、1軍から2軍へ落ちるということで……。自分の中で今シーズン2回目の1軍昇格でその後、万が一、2軍に落ちるようなことがあれば、けじめとして(引退しようと)自分の進退を懸けながら、やってきました。そんな中で2軍に落ちたということでけじめとしてユニホームを脱ぐということを高木(守道)監督、そして球団に申し入れ、このような形となりました。昨年もユニホームを脱ぐか、現役を続行するかということで悩みに悩み、また現役を続行させてもらい、ファンのみなさんに『ダメならユニホームを脱ぐ』とお約束をしてシーズンに臨みました。今回シーズンを2カ月残していますが、自分の中でけじめとして今シーズンで引退ということを今日皆さんにご報告したいと思います」

――引退を決意してどんな気持ち?

「身体も元気ですし痛いところもないので、『自分の中ではまだまだできる、何年も野球をやりたい』という気持ちはありましたけど、やはり最後はユニホームを脱がなくてはいけない。そんな中で引き際を考えながら、『今シーズンかな』と思いました。『やりきった』とは正直、思いませんけど、次のドラゴンズの選手に夢を託したいと思い、晴れ晴れはしてませんけど、後で振り返れば『この時期で良かったのかな』と思えるように行動していきたいなと思います」

――高木監督にはどういう言葉を掛けられた?

「(26日の)ジャイアンツ戦1戦目でああいう形で負けまして(3−6逆転負け。5回1死一、二塁で代打出場も空振り三振)、ロッカーに渡邉(博幸)コーチが来て『登録抹消です』と言われました。ボクもちょっとビックリしたんですが、それだけじゃ気持ちに整理が付きませんでしたので、『監督と話させてくれ』と言って経緯を聞きました。『今、こういうチーム事情で野手15人に入りきるのが大変』だと、そういう中で『今回、お前(山崎選手)が2軍に行くことになった』と。それを聞きまして、すぐには消化ができなかったんですけれど、そういうことなら仕方ないと受け入れました。この時期に、この年齢で1軍から離れるということがどういうことかを自分でも重々分かっていました。前から決めていたことなので、高木監督との話が終わった後に今シーズンで引退することを監督にお伝えしました。『分かった』の一言で監督との話は終わりまして、最後は球団の方々と相談しなくちゃいけないので、(坂井克彦)球団社長、井手(俊)代表、西脇さん(西脇紀人編成担当)という方々とお話をして今シーズンで引退ということを受け入れてもらったということです」

――27年間を振り返って、どんな野球人生だった?

「27年間というと野手では目標としていた野村監督(楽天時代の野村克也前監督)の27年と並び、これだけは成すことができた、非常に長くやれたなという風に思います。周りからも『本当に長い間お疲れさん』っていう言葉を最近言われますけれども、『まだまだ30年くらいできるんじゃないか!?』って思います(笑)上には上がいて、ボクの大好きな山本昌先輩が30年やっていますから、先に辞めるのは悔しいな(笑)」

――野村監督はどんな言葉を?

「引退を決意した日、くしくもドラゴンズ戦の解説をされていたということで、名古屋にいらっしゃるということは知っていました。本当は直接野村監督のところに行ってあいさつしようかなと思ったんですけど、なかなかタイミングが合わずで。電話で『今シーズンでユニホームを脱ぐことを決めました』とお伝えしたところ、『いずれはユニホームを脱ぐ日がくるが、とうとうこの日が来たな』と言われたかな。あとは『お前も俺と一緒のような辞め方をしないかんな』と。喋った時間は2〜3分だったと思うんですけど、『ごくろうさん』ということを言われました」

「27年間やったことがひとつの自慢」

――27年間で一番印象に残ったことは?

「ドラゴンズで18年間プレーさせてもらって、パ・リーグで9年間プレーさせてもらったんですけれど、『もうダメかな?』って思ったところでいろんな人に助けてもらったお陰でユニホームを着られました。楽天イーグルスを退団して、またドラゴンズのユニホームを現役で着られるなんて想像もできなかったんですけれど、こんな奇跡的なことは皆様のご尽力のお陰。自分の生まれ育った、そしてプロ野球の選手のあり方、厳しさを教えてもらったのもドラゴンズ。そういう中でも、また同じユニホームを来てプレーできたっていうのはボクにとって一番の幸せでしたし、(特定の)プレーよりも(そのことの方が)印象にありますね」

――印象に残る打席を敢えて挙げるとすれば?

「ドラゴンズで1回しか優勝経験がありませんけど、優勝した年のサヨナラ3ラン(1999年9月の阪神戦)は忘れられない出来事でしたし、パ・リーグで言うならば、楽天のときに(09年の)クライマックスシリーズに出場した時に本塁打を打った。あれがすごく印象にあります。最近では、(交流戦の5月17日に)古巣イーグルスからサヨナラ安打を打った。それは印象に残る出来事でしたね」

――プロ人生の中で誇れることは?

「ヒットも2000本打てませんでしたし、自分のひとつの目標が長嶋(茂雄)さんの(本塁打数)444本を打つこととをこだわりでやってきたんですけど、それもちょっと叶わず……(編集部注:山崎は403本塁打)。成績としては『足りない男』だなと思います。野手では誰よりも長く野球に携われた、野球生活ができたのがボクのひとつの誇りだと思います。野球の成績は『まあ頑張ったな』と言ってもらえるくらいはやったかなと思います。まだまだ過去の先輩方には遠く及びませんけど、27年間やったことがひとつの自慢になるかなと思います」

――今シーズン残りの目標は?

「引退表明はしましたけど、ドラゴンズは大変苦戦しています。幸いにもクライマックスシリーズというシステムがありますので、そこから日本シリーズ優勝を目指してナインは頑張っていますので、2軍に落ちたものの、この2カ月やり通さなくてはいけないという義務がありますんで、しっかり調整してまた高木監督に『1軍に戻ってこいよ』と言われるくらい頑張らなくてはならないと思っているので、また明日から暑い名古屋で(笑)、野球をやれるよろこびをかみしめながら2カ月間やっていきたいなと思います。早いうちに1軍に復帰してチームに貢献したいなと思います」

引退決意に長男は「納得してなかったです(笑)」

――引退後の希望や夢は?

「自分がどうなっていくか、自分でも不安になるくらいなんですけれど。ボクもプロ野球界に長くいさせてもらいましたんで、プロ野球界、ドラゴンズに恩返しができるようになりたいとは考えています」

――それは指導者として?

「そうですね。こればっかりは自分で決められるものではありませんので、またそういう風に誘って頂けるように自分も精進していかないといけないと思います。いずれ後輩を指導していきたいなという気持ちは正直に言ってありますし、プロ野球界のためにもなんとか恩返しができるようにと思ってますね」

――昨日、おとといはその希望を球団に伝えた?

「社長はじめ、ボクの思いは伝えましたし、社長からは『よく頑張ってくれた』と最高の言葉を頂きました。今後についてはやはり、プレーヤーとしてまっとうしてからにしたいです」

――ご両親の反応は?

「実は両親とはまだ直接会っては伝えてはいません。母は意外と諦めていましたね。まあ、毎回『辞めるな』と言うんですけど、さすがに今回はね、諦めましたね(苦笑)。『ごくろうさん』の一言だったんですが、妙に重かったですね。両親にひとつ励みをなくさせるのは残念だと思います」

――息子さんの反応は?

「納得してなかったです(笑)。もう諦めが悪いやつですねえ(笑)。うちの家族の中では一番納得してなかったですね。ですから、一番なだめるのに時間が掛かったのは長男ですね。こうやって会見を終えて帰るとまた何か言われるかなと思いつつ、幸いなことに学校の合宿でいないということで(笑)」

――ファンへメッセージは?

「シーズン途中に自分事で迷惑を掛け、申し訳ないと思いますが、自分のけじめとしてお話したかったんで、お許し頂きたいなと思います。久しぶりにドラゴンズに帰ってきて、時には叱咤激励されることもありましたけど、本当にうれしかったです。また、東北でもお世話になりました。震災もありましたし、そういう中で被災されてる方々を励ますつもりでいろいろなところに慰問に行って、かえって励まされ野球の素晴らしさを感じさせてもらいましたので、東北の方々にもお礼を言いたいです。残り2カ月、山崎武司らしい終え方をしてまた最後の最後にごあいさつしたいと思いますので、今回の会見をまだ『締めくくり』にはしたくないです」

<了>
■山崎武司(やまさき・たけし)
1968年11月7日生まれ。愛知県出身。愛工大名電高卒。1986年ドラフト2位で中日に入団し、プロ10年目の96年に本塁打王を獲得。03〜04年オリックス、05年〜11年東北楽天に在籍し、12年に古巣中日に復帰した。通算成績は2237試合で打率2割5分7厘、1833安打、403本塁打、1204打点(引退発表の2013年7月29日時点)。主な獲得タイトルは、本塁打王(96年=39本、07年=43本)、打点王(07年=108点)、ベストナイン(96年、07年、09年)。
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著者プロフィール

プロ野球の”いま”を伝える野球専門誌。年4回『季刊ベースボール・タイムズ』を発行し、現在は『vol.41 2019冬号』が絶賛発売中。毎年2月に増刊号として発行される選手名鑑『プロ野球プレイヤーズファイル』も好評。今年もさらにスケールアップした内容で発行を予定している。

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