川内優輝が今思う、走り続けることの意味=手記・前編

構成:スポーツナビ

“公務員ランナー”として、2度目の世界選手権に臨む川内優輝(写真)が、陸上に対する思いを語った 【写真は共同】

 フルタイムで働きながら、日本男子マラソン界の第一線で活躍する異色の“公務員ランナー”川内優輝。2011年の東京マラソンで、並みいる実業団ランナーを抑えて2時間8分37秒の好記録で3位に入り、同年の世界選手権テグ大会代表に内定、日の丸をつけて世界の舞台で走った。その後も、試合を利用して練習を積む独自のスタイルで競技を続け、国内外のレースで優勝を積み重ねている。
 そして13年2月、別府大分毎日マラソンでロンドン五輪6位入賞の中本健太郎(安川電機)とのデットヒートを制して優勝。4月に自身2度目となる世界選手権(8月、モスクワ)のマラソン代表に選出された。

 再び世界の舞台に立つ川内は今、自身の歩んできたマラソン人生に何を思うのか、走ることで何を伝えたいのか――。前編は、川内自身の言葉で今の思いを、後編は独自のトレーニング方法について語った。

“公務員ランナー”を続ける理由

 きっかけは、高校時代にさかのぼります。当時けがで苦しんだこともあり、実業団に進んでもオーバートレーニングでまたダメになってしまうのではないかという恐怖心と、(自分が)強豪高、強豪大、実業団という「日本型エリート育成システム」から落ちこぼれたという劣等感がありました。ただ、そうしたエリート育成システムが全てではなく、「故障して挫折しても再チャレンジ可能な陸上界である」ということを証明し、エリートランナーたちを見返してやりたいという気持ちがありました。

 その後、学習院大に進学。当時の津田誠一監督や福永茂樹コーチから、高校までとは全く違う指導を受けました。内容は、ポイント練習(強度の高いトレーニング)が週2回で、基本的に朝練がない1部練習、スピードを養う練習よりも中間力走重視というものでした。精神的・肉体的には高校時代よりも楽なのに記録が伸びるようになっていき、「どういう練習をすれば強くなれるか」が分かり、関東学連選抜で2度も箱根駅伝6区を走ることができました。
 この経験から、澤木啓祐先生(前日本陸連副会長)の言葉を借りれば「強くなるための方程式は1つではない」ということを証明したくなったのです。このことが証明できれば、次世代のマラソンを志す選手の可能性が広がると思いましたし、高校時代に悩んでいた自分のような選手に解決策の1つを提供できると思ったのです。

 公務員試験の勉強をまだ本格的にしていない大学3年の冬くらいまでに、声を掛けてくれる実業団があれば気持ちは動いたかもしれません。しかし、大学4年の5月に1社から誘われただけで、他の実業団からは一切勧誘してもらえず、「今のやり方で記録は伸びているし、誘われてもいないのに無理して頭を下げてまで実業団に行くことはない」と考えました。

世界での戦いを意識したきっかけ

 原点は大学4年の時に日本学連選抜としてニューカレドニア国際マラソンのハーフマラソンに派遣され優勝したことです。もともと、私は世界を意識できるような選手ではなく、日本国内のレース以外に興味もなかったのですが、この時初めて海外レースを走ってみて、日本のレースと違う雰囲気に衝撃を受け、「またいつか海外で戦いたい」と思うようになりました。
 
 そして、社会人1年目の2010東京マラソンで、自己記録を5分以上縮め、世界選手権ベルリン大会代表の藤原新さん(現ミキハウス)と2秒差、同佐藤敦之さん(中国電力)と1秒差でゴール(2時間12分36秒)したことで「コンディションによっては自分のような選手でもこんなトップアスリート達と戦える」と思うようになりました。

 さらに、世界選手権テグ大会で団体銀メダルを取り、メーンスタジアムの表彰台の上から、日の丸が揚がっていく様子や観客席に多くの日の丸が翻ったのを見て「多くのアスリートはこの一瞬のために戦っているのだ」と身が震えるような感動を覚えました。この大会以降、「世界中のマラソンに遠征し、日本の底力を世界中の方々に見せたい。日本人でもまだまだやれるということを証明するために、自分自身の力を世界中のマラソンで試していきたい」と思うようになりました。

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