タキ・イノウエという人物=赤井邦彦の「エフワン見聞録」第7回

赤井邦彦/AUTOSPORTweb

カップ=ダイユで久々の再会

1995年のハンガリーGPで、自らのマシンから出た火を消そうと消火器を持って駆け出したタキ・イノウエだが、背後からマーシャルカーにはねられてしまった。ある意味“伝説”と語り継がれているシーンである 【LAT Photographic】

 タキ・イノウエに会って来た。井上隆智穂。元F1ドライバーである。モナコGPの週末のある日、モナコからほど近いカップ=ダイユという小さな村の「Le Cabanon」という地中海に面したイタリア料理店で、久しぶりに長い語らいをした。う〜ん、この男はしたたか者だ。

 私がタキ・イノウエに初めて会ったのは、彼がF1のシートを手に入れた年、1994〜95年ころだ。彼はそれまでイギリスや日本でレースをしていたが、あまり印象に残っていない。しかし、F1に乗るとなれば取材をしないわけにはいかない。そこで、当時東京・六本木にあった彼の事務所を訪ねて話を聞いた。彼がF1に乗る時、どういう経緯で資金を集めてきたかは詳しく知らないが、やれ怖い人からお金を融資してもらったとか、あまりいいうわさは聞かなかった。だが、本人から話を聞くと、これが面白い。面白いと言うと語弊があるかもしれないが、なかなかのやり手であるという印象を受けた。私はその時、タキ・イノウエはちょっと日本人にはいないタイプの、ビジネスセンスに長けた人間だという印象を受けたのだ。

F1で残した最も大きな功績

 彼をF1ドライバーとして認めるか否かは、個人の自由である。競争力が高くなければF1ドライバーではないとする人に言わせると、タキ・イノウエはF1ドライバーとしては失格かもしれない。しかし技量的な面から言っても、誰でもF1に乗れるわけではない。となると、F1グランプリに出走したことのある彼は立派なF1ドライバーであるとも言える。

 タキ・イノウエがF1で残した最も大きな功績は、95年モナコGPで彼がF1マシンのシートに座ったままピットまでけん引される途中に、そのF1マシンが転倒してしまったこと(メディカルカーに追突されてしまったため)、同じ年のハンガリーGPでコース脇に停止した自分のF1マシンに消火液をかけようとしたときにマーシャルカーにはねられたこと、このふたつの事件である。これはともに事故というより事件だが、その両方の事件で彼が負傷しなかったことが何よりの救いだ。事故ではなく事件で負傷すると、それは更なる事件になる。

1/2ページ

著者プロフィール

赤井邦彦:世界中を縦横無尽に飛び回り、F1やWECを中心に取材するジャーナリスト。F1関連を中心に、自動車業界や航空業界などに関する著書多数。Twitter(@akaikunihiko)やFacebookを活用した、歯に衣着せぬ(本人曰く「歯に衣着せる」)物言いにも注目。2013年3月より本連載『エフワン見聞録』を開始。月2回の更新予定である。

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント