世界王者・宮崎亮の原点と未来

城島充

ミニマム級の世界戦では滅多に見られないKO劇

5月8日に行われた初防衛戦では左フック一発で衝撃的なKO勝利を飾った宮崎 【写真は共同】

「みなさん、僕、かっこよかったですか?」

 左フック一撃で初防衛に成功したあと、WBA世界ミニマム級王者の宮崎亮は観客にそう呼びかけた。メキシコの挑戦者と足を止めて打ち合ってのKO劇は確かに鮮烈な印象を残したが、「浪速の番長」あるいは「リアル・ドンキーコング」の異名を持つ24歳のポテンシャルはこのレベルで収まるものではない。

 4ラウンドを終えた時点で、3人のジャッジの採点はすべて38−38。宮崎は同級7位のカルロス・ベラルデのパンチを見切りつつあったが、一方で自分のリズムを作れていなかった。

 5ラウンドに入ってそんな局面を打開したのは、ガードを下げ、少し距離を取って放った左ジャブだった。ジャブでリズムをつかんだあとの2分22秒。右フックから返しの左フック一発で挑戦者を仕留めた。最軽量級であるミニマム級(47.61キロ以下)の世界戦では滅多に見られないワンパンチKOだった。

 昨年の大晦日は念願のベルトを腰に巻いたが、試合内容には満足できなかった。「体が動かない。相手のパンチも軽いと思いましたが、こっちのパンチも力が入らなかった」。戴冠後に語った言葉は、そのまま過酷な減量の影響を伝えていた。

 宮崎は本来、1階級上のライトフライ級(48.97キロ以下)で戦ってきたボクサーだ。日本、東洋太平洋の王座もライトフライ級で制している。ミニマム級リミットとの差はわずかだが、そのために、宮崎は筋肉質な体を極限まで削り込んでリングに上がった。

 問題はミニマムの彼は世界王者ではあるが、本来の魅力とかけ離れたボクシングをしているという点にある。

井岡とは違った種類の才能の持ち主

 興国高校ボクシング部は宮崎と同期の井岡一翔(WBCミニマム級、WBAライトフライ級の2階級制覇王者)、先輩にあたる石田順裕(元WBAスーパーウエルター級暫定王者)ら多くの逸材を輩出している名門である。ボクシング部の門を叩く新入生のほとんどは中学時代にプロのジムなどでボクシングの基本を習得しているが、宮崎は違った。

 ボクシング部を率いる須藤秀樹監督は「彼は誰にも教えられない、我流のスタイルを最初から持っていました」と振り返る。
「あごを引けとか、基本的なことは教えましたが、ボクシングスタイルを修正したことは1度もありません。タイミングが合わせにくいから、宮崎のミットをあまり持ってないんですよ。井岡とはまったく種類の違う才能の持ち主だと思いました」
 名将の目に「我流」と映ったのも当然だ。宮崎は興国高校に進むまで、指導者について本格的なボクシングトレーニングをした経験がほとんどなかった。

 幼いころに両親が離婚、母親に女手ひとつで育てられたこと、中学時代に鑑別所に入ったことは宮崎亮のサクセスストーリーの背景としてよく知られている。ボクシングで頭角を現したのも、そのやんちゃぶりにルーツがあるかのように思われている節もあるが、彼がこの競技の存在を意識したのは幼稚園児のころだ。

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著者プロフィール

関西大学文学部仏文学科卒業。産経新聞社会部で司法キャップなどを歴任、小児医療連載「失われた命」でアップジョン医学記事賞、「武蔵野のローレライ」で文藝春秋Numberスポーツノンフィクション新人賞を受賞、2001年からフリーに。主な著書に卓球界の巨星・荻村伊智朗の生涯を追った『ピンポンさん』(角川文庫)、『拳の漂流』(講談社、ミズノスポーツライター最優秀賞、咲くやこの花賞受賞)、『にいちゃんのランドセル』(講談社)など

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