ピッチに再臨する久保が求めた相棒の存在=最高の姿は個人ではなくコンビで

中野和也

体のケアを怠らなかった現役晩年

廿日市FCで突然の現役復帰を発表した久保。目標はJ3へあがることだと話した 【写真は共同】

 現役復帰など、昨年は考えもしていなかったはずだ。現役晩年には断っていた酒を「引退」後は再び飲み始めたことが、何よりの状況証拠である。

 もちろんコーチになり、人付き合いも増えた。酒の席も多くなるだろう。それに彼は本来、酒が大好きだ。サンフレッチェ広島では、彼が若い頃に残した飲酒時の伝説が、今も数多く語り継がれている。独身寮には帰らずに行きつけの寿司屋で酒を飲んではそこの2階に寝泊まりし、「こんなことばかりやっていたら、ダメになるぞ」と店の大将に怒られたこともあった。

 そんな大好きだった酒も、広島に復帰した2008年の頃にはピタリとやめていた。体の節々を襲う痛みと闘うためだ。腰にはヘルニアを抱え、背骨にはヒビが入り、日常生活にすら支障をきたした07年、横浜FCの契約が解除された時には「痛みが消える」「けがが治る」と言われたものは全て試した。温泉も、はり治療も、あらゆるものを。

 何とかサッカーができる体になって広島に戻った2年間も、彼はずっと体のケアを怠らなかった。誰よりも早く練習場にやってきてストレッチやテーピングをはじめとする準備を行い、誰よりも遅くまで練習場に残ってトレーニングと治療を続ける。ペトロヴィッチ監督(当時)の話を聞いている時も足のストレッチを続け、以前は嫌いだったランニングの距離は誰よりも長かった。

「タツさんの姿は、プロとしての模範です」。当時32歳の久保の姿を見て、11歳年下の槙野智章(現浦和レッズ)はそう語った。彼は少年の頃、広島ビッグアーチ(現エディオンスタジアム広島)のスタンドで、久保竜彦のとんでもないシュートが炸裂する度に歓声をあげていた。その憧れのスーパースターが真摯(しんし)に、そして全力でサッカーに取り組む姿を見て、感嘆の声を発していたのだ。

第2の人生を歩く久保の現役復帰

「現役を辞めたら、不思議なほどに痛みは消えた」

 昨年、廿日市FCのコーチとして契約を結んだ時、久保がポツリと言った言葉である。プロとして究極に突き詰めた動きに挑戦し、誰もまねできないような肉体の爆発を続けていれば、当然、体の節々に無理はくる。ボクシングではハードパンチャーが自らのパンチ力の強さ故に拳を傷めやすいというが、それは人間の摂理。GKよりも高く飛び上がったり、腰を90度以上にねじ曲げ尋常でないスピードで回転させてシュートを打ち続ければ、体に支障が出て当然だ。久保竜彦という男の筋肉がいかに柔らかく、反射神経・運動神経が野獣のようであっても、「アウト・オブ・スタンダード」(広島時代の恩師、エディ・トムソンの言葉)な彼のプレーを支える骨や肉体構造は、やはり人間のそれなのだ。

 昨年、彼はコーチとして子どもたちの指導を続けた。テレビ出演のオファーも増え、広島優勝決定の試合ではテレビのレポーターとして会場を訪れ、笑顔で選手バスを出迎えた。

「実はあの時、バスの中ではチーム全体に緊張感があったんですよ。でも会場に着いたら、バスの中がざわめいた。『タツさんがいるよ』。そんな声が飛び交って、みんなが笑顔になったんです」(森崎和幸)

 現役時代、彼はそれほど多くの笑顔を見せたわけではない。むしろ厳しい表情のイメージの方が強いだろう。だが、昨年の彼はずっと笑顔だった。どんな仕事の時も楽しそうに、笑いとともに過ごしていた。その表情には、若い頃の破天荒ぶりも、晩年の求道者のような他を寄せ付けない空気もない。闘いの現場からおりた久保は、穏やかに第2の人生を歩き始めたんだ。そんな彼を応援したい。そう強く感じていた。
 そんな感慨を持っていた時、唐突に飛び込んだのが、久保竜彦現役復帰のニュースである。しかも、彼が尊敬する先輩である桑原裕義と大木勉と共に、廿日市FCでJ3を目指すという。

 驚いた。なぜ? の想いはぬぐえない。

復帰を考えさせたコーチとしての経験

 その経緯を記者会見で、丸子修司廿日市スポーツクラブ代表は、こう語った。
「今年の1月に桑原選手に会った時、彼は『弱小クラブだからこそできることがある。今できることを地道に積み重ねましょう』と言ってくれた。そういう彼のサッカー観や考え方に私が賛同したことが、(彼らの現役復帰につながる)最初のきっかけです。

 久保竜彦選手とは3月に面談し、『今、教えている子どもたちの目の前で、トップパフォーマンスを見せてもらいたい』と言いました。その時彼は『現役最高時の突破力を見せるのは、年齢的に難しい。しかし『大木勉選手とのコンビならば、トップパフォーマンスが取り戻せる』と言ったんですよ。

 そこで私は3月中旬、大木選手を口説くために松山に渡りました。彼に久保選手の想いを伝えると『タツがそんなことを言いましたか』と、うれしそうに言ってくれたんです」

 久保は、無類と言っていいほどの子ども好きだ。廿日市FCのコーチとして契約したのも、もちろんライセンス取得のためという目的もあったが、何よりも「子どもたちのサッカーのために手助けがしたい」という純粋な想いがまずあった。だが、コーチとして子どもたちに見本を見せようとシュートを打っても「最初の頃はバシッと枠に飛んでいたのに、夏以降はなかなかうまくいかない。バシッといくシュートを、(子どもたちに)見せたい」。そんな想いが募っていたことは確かだ。だからこそ、桑原裕義の現役復帰に刺激を受けた。やってみたいという気持ちも、少なからず湧いてきた。

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著者プロフィール

1962年生まれ。長崎県出身。広島大学経済学部卒業後、株式会社リクルートで各種情報誌の制作・編集に関わる。1994年よりフリー、1995年よりサンフレッチェ広島の取材を開始。以降、各種媒体でサンフレッチェ広島に関するリポート・コラムなどを執筆。2000年、サンフレッチェ広島オフィシャルマガジン『紫熊倶楽部』を創刊。近著に『戦う、勝つ、生きる 4年で3度のJ制覇。サンフレッチェ広島、奇跡の真相』(ソル・メディア)

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