アヤックスはロジカルをピッチに還元する=映像やデータを駆使した試合分析法
アヤックスとの縁が深いサントーニ
何かとアヤックスと縁があるサントーニ。彼の祖父はアヤックスの選手だった 【中田徹】
名前からも分かるように、サントーニはイタリア人。生まれはベローナの近く、ラゴ・ディ・ガルダ。だが、彼の母はオランダ人。そして祖父はアヤックスの選手だった。つまり、生まれつき彼にはアヤックスの血が流れているのだ。
ユース時代、キエーボでプレーしていたサントーニだったが、膝のけがで早々に引退。20歳のころから地元のクラブで指導者の道を歩み始めた。その8年間、「私はオランダのような4−3−3で、ロングボールを蹴らない本当のフットボールを指導したんだ」と言う。
その後、オランダに渡りハーレムのA1(U−19)のコーチになったサントーニは、2009年、当時アヤックスの監督だったマルティン・ヨルと出会った。イタリアでサントーニがスポーツ系の情報処理を勉強していたことから、ヨルは「アヤックスもゲーム分析部門を作るから、うちに来ないか」と誘ってくれた。
たたき上げのヨルがチームにもたらしたもの
小クラブでの実務経験から、ヨルは自ら試合のビデオを編集して分析することを厭(いと)わなかったが、アヤックスはクラブとしてまだビデオ分析のノウハウが整っていなかった。トッテナムとハンブルガーSVはアヤックスよりゲーム分析が進んでおり、ヨル自身もこの分野に高い興味を持っていた。こうした背景もあって、サントーニは「ヨルからは、使うかどうか分からないデータ、ビデオまでたくさんの資料を要求されて大変だった。しかしやりがいもあったし、楽しかった。今よりデータを活用していた。彼はうまくいったとき、僕をハグして抱きしめてくれた」と言う。
「マルティンはアマチュアや小クラブで指導者をスタートさせたから、手持ちのメンバーで最高の結果を出すことに優れていた。だからアヤックスでも4−3−3と4−4−2を使い分けていたし、相手チームに合わせて戦術も変えていた。サポーターからは批判もあったけど、リーグ戦では首位と勝ち点1差で2位になり、欧州チャンピオンズリーグにも出場、カップ戦では優勝した。彼は多くの良いことをアヤックスに残してくれたと私は思っている」(サントーニ)
勝利には欠かせない戦術的要素
アヤックスのサッカーを貫こうとするフランク・デ・ブールの姿勢は、「現役時代の彼はアヤックス、バルセロナと本当のトップのフットボールしか見てこなかったから。ヨルとは全く逆のバックグラウンドだ」(サントーニ)というところが由来らしい。
そうはいっても、試合に勝つために、戦術的要素はやはり欠かせない。サントーニの編集したデータ、ビデオ、トニー・ブラウンスロット氏のスカウティングによって、フェイエノールトの中盤が左に傾いているのが分かった。つまりフェイエノールトの中盤の右、アヤックスの攻撃方向から見て左に大きなスペースが生まれていたのだ。またフェイエノールトのセンターバック(CB)が、相手のセンターFWの下がる動きについてくるのも読んでいた。
こうした分析から、アヤックスは左CBのニクラス・モイサンダーにドリブルのスペースが生まれること、センターFWクリスティアン・エリクセンが下がった裏にもスペースが生まれることを予期した。ボランチのクリスティアン・ポウルセンはモイサンダーが上がるスペースを消さないため遠ざかり、フェイエノールトMFレックス・イマースを引きつけながらやや右へ流れるようにした。こうした準備をして迎えた1月20日のフェイエノールト戦、開始早々7分に全くその通りの状況が生まれ、モイサンダーのドリブルからのスルーパス、左ウイング、ビクトル・フィッシャーの中への走り込みから先制ゴールが生まれた。アヤックスはこの試合を3−0で制した。