どよめきを巻き起こした、クルム伊達の勝負

内田暁

ビーナスとの対戦に敗れたクルム伊達。その表情には充実感がみなぎっている 【Photo:AP/アフロ】

 米国フロリダ州マイアミで開催中のソニー・オープン2回戦(現地時間21日)で、クルム伊達公子(エステティックTBC)は第19シードのビーナス・ウィリアムズ(米国)と対戦。6−7(3)、6−3、4−6で敗れたものの、濃密で起伏に富んだ2時間32分の物語は、地元マイアミのファンをも惹きつけた。復帰から5年を経た42歳のクルム伊達は、元女王相手にいかに戦い、この試合から何を手にしたのだろうか。

一時代を築いた実力者、ビーナスと1年ぶり対戦

 荒い息を吐きながらコートを端から端まで走りきり、右手を目いっぱいに伸ばすと、すくい上げるように鋭角にボールを打ち返す――。強烈なスピンのかかった黄色い球は、ネットをかすめると、白帯の上を這うように転がり、相手コートにポトリと滑り落ちた。
 刹那、うねるように湧き上がる万雷の拍手と、悲鳴に似た大歓声。
 クルム伊達は右手を振り上げ渾身(こんしん)のガッツポーズを決めると、手にしたポイントの意味をかみしめるように、しばらくその姿勢を崩さない。1万人近くの観客を飲み込んだスタジアムは、アウェーであるはずのクルム伊達のプレーに熱狂し、「キミコー!」「キミー!」の大声援を、彼女の細い背に送った。
 第3セットの第9ゲーム。5−3で迎えたビーナスのサービスゲームで、クルム伊達がこの試合で実に6度のマッチポイントをしのぎ、ブレークに成功した瞬間の出来事である。

 クルム伊達がビーナスと対戦するのは、ちょうど1年前のこの大会以来のことだ。場所もこの日と同じくセンターコート。その1年前の対戦では、ビーナスが時速195キロの高速サービスで女王のプライドを見せつけ、6−0、6−3とクルム伊達を圧倒した。
 女子テニス界の革命児であるビーナス・ウィリアムズに関しては、それ程多くの説明を必要としないだろう。ウィンブルドン5冠を含むグランドスラム7つのタイトルを誇り、2000年代前半には世界1位も経験。時速200キロを超えるサービスを引っさげ、妹のセリーナとともに“ウィリアムズ姉妹時代”を築いたパワーテニスの旗手である。近年はケガや病に泣かされ出場大会数こそ減ったものの、それでもランキングは20位以内を確保。実質的な力では、いまだテニス界のトップに位置するベテランだ。

 1年前に完敗を喫した、そのような実力者との再戦――。普通に考えれば、年齢で先をいくクルム伊達に不利な状況である。にもかかわらず今回の対戦が接戦になるであろう予感は、試合前から十二分にあった。今年1月の全豪オープンで3回戦まで進出し、今大会の初戦でも6−2、6−0と圧巻の勝ち上がりを見せたクルム伊達の身心の充実度は、昨年のこの時期とは比べ物にならない。加えるなら、テニス界きっての策士で業師でもある彼女が、昨年の敗戦から何かを学んでいないはずがなかった。過去の対戦から得たビーナス対策、そして今季の好成績に裏打ちされた自信を胸に、クルム伊達はセンターコートに立っていた。

「1995年の準優勝者」伊達 客席からはどよめき

 そのセンターコートで試合が始まる直前、少しばかり感傷的な一幕があった。テニスでは試合前に、対戦する両選手の実績やプロフィールがコート上でアナウンスされる。クルム伊達の42歳という年齢や、90年代にトップ10だったというキャリアはそれだけでインパクト十分だが、続いて「1995年の同大会の準優勝者です!」と紹介されると、客席から小さなどよめきが起こった。テニスファンはどの街でも、過去にその地で偉業を成した選手に多大な敬意を払う慣習がある。この時クルム伊達はマイアミから、決して小さくない畏敬の念を獲得した。

 もっとも彼女がコート上で見せたパフォーマンスは、そのような過去の実績に頼らずとも、テニスを愛する人々を惹きつけ離さぬ魅力を放っている。第1セットは、ビーナスがサービスと速い展開で主導権を握り5−1とリードするが、ここからが“逆転の伊達”の真骨頂だ。

「少しタイミングを外されたり、自分の小さなミスで差が開いたが、そこをアジャストできれば良くなるという感覚はあった」

 それがコート上で劣勢に見えた、クルム伊達の胸中だ。実際に、彼女のテニスがビーナスのリズムに「アジャスト」し始めた瞬間と、ビーナスがダブルフォールトを犯したタイミングが合致した時、試合の潮流は劇的に反転する。絶叫とともに打ち込むビーナスの強打を深く返し、1−5から怒とうの4ゲーム連取で追いつくクルム伊達。結果的に、この第1セットはわずかに逆転には届かなかったものの、試合の主導権は既にクルム伊達の手中にある。ウイナーの数で相手を4本も上回った第1セットの数字が、リスクと背中合わせの彼女のテニスの本質をうつしていた。

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著者プロフィール

テニス雑誌『スマッシュ』などのメディアに執筆するフリーライター。2006年頃からグランドスラム等の主要大会の取材を始め、08年デルレイビーチ国際選手権での錦織圭ツアー初優勝にも立ち合う。近著に、錦織圭の幼少期からの足跡を綴ったノンフィクション『錦織圭 リターンゲーム』(学研プラス)や、アスリートの肉体及び精神の動きを神経科学(脳科学)の知見から解説する『勝てる脳、負ける脳 一流アスリートの脳内で起きていること』(集英社)がある。京都在住。

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