どよめきを巻き起こした、クルム伊達の勝負

内田暁

勝負は接戦に 最後は“運”の差

 第2セットは、手にした手綱を緩めることなく、開始からクルム伊達が疾走する。リーチが長いビーナスの強打を封じるべく、あえて正面への球を織り交ぜながらラリーを支配。「クロスの打ち合いで勝てる相手ではないので、真ん中への攻めのボールを混ぜるようにした」という作戦が奏功し、第2セットはクルム伊達が6−3で奪取する。2年前のウィンブルドンでの初対戦に続き、試合はファイナルセットに突入した。
 迎えた第3セット。勢いは追い上げるクルム伊達かと思われたが、ここでビーナスは、なぜ彼女が女子テニス界に君臨したのか、その資質を見せつける。試合終盤に入ってもなお衰えぬサービスは、時速113マイル(約181.8キロ)を計測した。その最大の武器を軸に、再びビーナスが主導権を奪い返す。そうしてビーナスが5−2とリードを広げた第8ゲームで、最初のマッチポイントが訪れた。

 この時に客席から湧き起こった大声援は、地元フロリダに住居を構えるビーナスへの後押しだったか、あるいは、クルム伊達の奮起を促すものだったろうか? もし後者であったとすれば、ファンはこの後さらに20分ほど、幸福な時間を堪能することになる。クルム伊達は渾身のバックハンドショットで危機を脱すると、3ポイント連取でこのゲームをキープ。冒頭で述べたように、続く第9ゲームでも5本のマッチポイントを凌ぎ、ブレークバックに成功したのだ。

 結果から先に述べると、ゲームカウント5−4でのサービスゲームでクルム伊達はブレークを許し、第10ゲームを……つまりは試合そのものを失った。この最終ゲームでは、クルム伊達が40−30とリードし、絶妙なロブで相手の頭上を抜きポイントを決めたかに思われる場面があった。だが身長185センチのビーナスは必死にボールに飛びつくと、ラケットの先に引っ掛けるようにしてなんとか返球する。不幸なことには、この勢いのない打球がネットに掛かって軌道が変わり、とっさに反応したクルム伊達のボレーは、ほんのわずかにラインを割った。

「どうして、ここまで運が味方してくれないのだろう?」
 そう苦笑するしかない不運も重なり、クルム伊達は最後の最後で、勝利に手が届かなかった。

6年目のチャレンジへ――

 勝者として、コート中央でファンに手を振るビーナスの横で、クルム伊達はスポーツバッグにタオルやドリンクボトルを手早く詰めると、ラケットとバッグを肩に掛けて、出口へと歩みを進めていく。ビーナスの横を通るとき、両者のあまりの体格差に、ただでさえ細身の彼女の肩がいっそう細く見えた。その背に向け送られる大声援と拍手に、クルム伊達は右手を上げて応じる。選手用通路の出入り口付近では、子供を含む多くのファンが、フェンスから身を乗り出すようにしてサインを求めていた。クルム伊達は一度は通路奥に姿を消したが、ふと思い出したように戻ってくると、ファンが差し出す巨大なボールやパンフレットに、次々とサインを書いていった。

 試合終了から、約30分後。会見場に現れたクルム伊達の表情は、意外なまでにすがすがしく、試合を振り返る口調は穏やかだ。
 もう少しの運があれば……、もう少し私の背が高くビーナスの背が低ければ……そう悔しさをにじませながらも、
「でもやっぱり、なんだかんだ言っても、彼女はビーナス・ウィリアムズですからね」
 そう言ってクルム伊達は、ふと笑みを漏らす。

 そのビーナスは「キミコに一度火がついたら、止めるのは不可能に近い」とクルム伊達のプレーを絶賛し、「彼女は私のロールモデルよ!」と感嘆の声を上げた。

 32歳の元女王からその様に最上級の賛辞を送られた42歳は、この3月で“再チャレンジ”からまる5年が経過する。

「まさかの5年間です。色んなことがありながら、大きな大会に出られる場所にいて、こうしてビーナス相手にこれだけできるなんて、奇跡としか言いようがない」

 そして彼女は、奇跡の物語をつづる手を、まだまだ止める気などない。
「ケガが無いことが何より。良い状態、元気な状態でコートに向かえれば、こういうチャンスを手にできるという手応えを感じた。今後もそれを維持することが、何よりの目標です」
 6年目のチャレンジを迎えるにあたり、そう思いの丈を言葉に込める。

 悔いは残さず、次なる戦いに向けコートから持ち帰った、手のひらに残る確かな手応え――。
 惜敗にもかかわらずこぼれた笑顔の理由が、そこにあった。

<了>

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著者プロフィール

テニス雑誌『スマッシュ』などのメディアに執筆するフリーライター。2006年頃からグランドスラム等の主要大会の取材を始め、08年デルレイビーチ国際選手権での錦織圭ツアー初優勝にも立ち合う。近著に、錦織圭の幼少期からの足跡を綴ったノンフィクション『錦織圭 リターンゲーム』(学研プラス)や、アスリートの肉体及び精神の動きを神経科学(脳科学)の知見から解説する『勝てる脳、負ける脳 一流アスリートの脳内で起きていること』(集英社)がある。京都在住。

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