- 杉浦大介
- 2013年2月27日(水) 12:28
「みんなジョーダンになりたかった」

「50歳になった私がプレーする姿を君たちは観ることになるかもしれないよ。笑わないでくれ。絶対にないとは言わないつもりだからね」
2009年に名誉の殿堂入りを飾った際のこと―――。
マイケル・ジョーダンがセレモニーの壇上でそうスピーチしても、実際に誰も笑わなかったという。飽くなき闘争心とチャレンジ精神で知られた“MJ”なら、いくつになろうと、何を試みても不思議はないと関係者は考えたのだろうか。
“史上最高のバスケットボール選手”と呼ばれた伝説の男も、今年2月17日でついに50歳に到達。結局、復帰はないまま、現在はシャーロット・ボブキャッツの筆頭オーナーとして表舞台に出てくることはほとんどなくなった。
ジョーダンの50歳の誕生日は、くしくもNBAオールスターゲームの当日。おかげで米国でのこの1週間は、ジョーダンのための祝祭ウイークになった感があった。本人は球宴会場のヒューストンに姿を見せることはなかったが、“後輩”にあたる現代のスター選手たちは、盛んにジョーダンに関するコメントを求められていた。
「子供のころはジョーダンのまねをしようとしたものだ。そう試みなかった子供はいなかったんじゃないかな。上手な子も、そうでない子も、バスケットボール選手になりたいものはみんなマイケル・ジョーダンになりたかったんだ」
ドウェイン・ウェイド(マイアミ・ヒート)が語ったそんな言葉に、同世代のすべてのバスケットボーラーたちは同意するのではないだろうか。
「あれはマイケル・ジョーダンの姿をした神だった」
1963年2月17日にブルックリンで誕生したジョーダンは、84年のドラフト全体3位でシカゴ・ブルズに入団。15年の選手生活で10度も得点王に輝き、キャリア平均30.1得点は史上最高の記録である。91〜93年、96〜98年にブルズを2度の3連覇に導き、6度のファイナルではすべてMVPを獲得した。
「あれはマイケル・ジョーダンの姿をした神だった」
86年のプレーオフ第1ラウンドでジョーダンが63得点を挙げた後、対戦相手だったボストン・セルティックスのラリー・バードが残したそんなコメントもあまりにも有名だ。
身体能力、スキル、勝負強さ、美しさ、スター性をすべて備えた究極のバスケットボール・プレーヤー。五輪でも2度の金メダルを獲得し、特に92年のバルセロナ五輪では“ドリームチーム”のエースとして君臨したことから、ジョーダンの知名度は真の意味で全世界レベルとなった。
その名声はバスケットボールのカテゴリーをも越え、米国のスポーツ史でも比較し得るのはモハメド・アリ、ベーブ・ルースくらいだろう。ウェイドの言葉にあったように、“マイケル・ジョーダン”は米国中のアスリートたちの憧れであり、成功の代名詞と言える存在になったのだ。