ジョーダン50歳の節目で再燃する比較論=レブロンは神に近づけるか

杉浦大介

「みんなジョーダンになりたかった」

今年50歳を迎えた“バスケットボールの神“ことマイケル・ジョーダン 【(c)Getty Images】

「50歳になった私がプレーする姿を君たちは観ることになるかもしれないよ。笑わないでくれ。絶対にないとは言わないつもりだからね」

 2009年に名誉の殿堂入りを飾った際のこと―――。
 マイケル・ジョーダンがセレモニーの壇上でそうスピーチしても、実際に誰も笑わなかったという。飽くなき闘争心とチャレンジ精神で知られた“MJ”なら、いくつになろうと、何を試みても不思議はないと関係者は考えたのだろうか。

“史上最高のバスケットボール選手”と呼ばれた伝説の男も、今年2月17日でついに50歳に到達。結局、復帰はないまま、現在はシャーロット・ボブキャッツの筆頭オーナーとして表舞台に出てくることはほとんどなくなった。

 ジョーダンの50歳の誕生日は、くしくもNBAオールスターゲームの当日。おかげで米国でのこの1週間は、ジョーダンのための祝祭ウイークになった感があった。本人は球宴会場のヒューストンに姿を見せることはなかったが、“後輩”にあたる現代のスター選手たちは、盛んにジョーダンに関するコメントを求められていた。

「子供のころはジョーダンのまねをしようとしたものだ。そう試みなかった子供はいなかったんじゃないかな。上手な子も、そうでない子も、バスケットボール選手になりたいものはみんなマイケル・ジョーダンになりたかったんだ」

 ドウェイン・ウェイド(マイアミ・ヒート)が語ったそんな言葉に、同世代のすべてのバスケットボーラーたちは同意するのではないだろうか。

「あれはマイケル・ジョーダンの姿をした神だった」

 1963年2月17日にブルックリンで誕生したジョーダンは、84年のドラフト全体3位でシカゴ・ブルズに入団。15年の選手生活で10度も得点王に輝き、キャリア平均30.1得点は史上最高の記録である。91〜93年、96〜98年にブルズを2度の3連覇に導き、6度のファイナルではすべてMVPを獲得した。

「あれはマイケル・ジョーダンの姿をした神だった」

 86年のプレーオフ第1ラウンドでジョーダンが63得点を挙げた後、対戦相手だったボストン・セルティックスのラリー・バードが残したそんなコメントもあまりにも有名だ。

 身体能力、スキル、勝負強さ、美しさ、スター性をすべて備えた究極のバスケットボール・プレーヤー。五輪でも2度の金メダルを獲得し、特に92年のバルセロナ五輪では“ドリームチーム”のエースとして君臨したことから、ジョーダンの知名度は真の意味で全世界レベルとなった。

 その名声はバスケットボールのカテゴリーをも越え、米国のスポーツ史でも比較し得るのはモハメド・アリ、ベーブ・ルースくらいだろう。ウェイドの言葉にあったように、“マイケル・ジョーダン”は米国中のアスリートたちの憧れであり、成功の代名詞と言える存在になったのだ。

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著者プロフィール

東京都生まれ。日本で大学卒業と同時に渡米し、ニューヨークでフリーライターに。現在はボクシング、MLB、NBA、NFLなどを題材に執筆活動中。『スラッガー』『ダンクシュート』『アメリカンフットボール・マガジン』『ボクシングマガジン』『日本経済新聞・電子版』など、雑誌やホームページに寄稿している。2014年10月20日に「日本人投手黄金時代 メジャーリーグにおける真の評価」(KKベストセラーズ)を上梓。Twitterは(http://twitter.com/daisukesugiura)

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