高円宮杯3連覇を置き土産に去りゆく名将=広島ユースを名門に導いた森山監督の功績

安藤隆人

戦う気持ちが生み出した数々の奇跡

広島ユースに戦う姿勢を植え付け、名門に引き上げた森山監督だが、今季限りの退団を明言している 【写真:松岡健三郎/アフロ】

 そして、近年は“逆転の広島ユース”と異名を取るように、驚異的な追い上げ、アディショナルタイムの奇跡に近い逆転劇を多く演出してきた。記憶に新しいのは、10年の日本クラブユース選手権。グループリーグにおいて、広島ユースは首位のFC東京U−18を相手に2点差以上で勝利し、かつ同グループの京都サンガF.C.U−18vs.三菱養和SCユースの試合で、京都U−18が引き分け以下でないと、決勝トーナメントへ進めないという窮地に立たされていた。かなり厳しい状況ではあったが、試合前の森山監督の目は燃えたぎっていた。

「まだまだあきらめていないよ。あきらめの悪さじゃ、ウチは日本一だからね。選手たちも誰一人あきらめていないよ。それにFC東京には昨年のJユースカップ決勝で負けたときのリベンジもあるから、勝つしかないでしょ」
 その言葉通り、広島ユースの選手たちの気合いは尋常ではなかった。立ち上がりから一気に攻勢に出ると、1−0のリードで試合を折り返した。すると、ハーフタイムに森山監督は「足がつるまで走ってこい! 限界まで戦ってこい!!! 全員で戦うんやぞ!!! やるんやぞ!!」と大声で、ベンチのテントの支柱を何度もたたいて、選手たちに激しく熱いげきを飛ばした。この時の選手たちの目のぎらつきは、今でもはっきり覚えている。森山監督の激しいげきで間違いなく、選手たちのハートに火をつけた。

 後半も決勝トーナメント進出を信じて疑わない選手たちは、守りに入ったFC東京U−18を容赦なく攻め立てた。そして、アディショナルタイムに入ると、センターバック(CB)を前線に送り込んで、全身全霊で攻めに転じると、ロングボールをそのCBがバックヘッドで押し込み、2−0の勝利。そして次の瞬間、京都U−18が三菱養和と引き分けたというニュースが舞い込んだ。まさに執念が引き寄せた奇跡の展開で、広島ユースが大逆転でグループ1位通過を決めた。

 そして、昨年のJユースカップ準々決勝では、コンサドーレ札幌ユースに2度リードされるも、2度追いつくという展開。そして2−2の同点から、84分に札幌が3度目の勝ち越しゴールを決めた際も、足を止めることなく前線から果敢に全員が連動したプレスを仕掛けた。すると88分に相手GKのミスを誘発し、MF川辺駿が起死回生の同点弾。延長戦では99分に途中出場の選手が決勝弾をたたき込み、実に3度追いついて、4度目で追い越すという粘りの逆転劇で、準決勝進出を手にした。

「集中力、戦う気持ちがある高いラインを越えたとき、奇跡が起こるんです。奇跡を生み出せるんです」(森山監督)

快挙に水を差した森山監督退任の事実

 気持ちは勝利を引き寄せる。近年、バルセロナサッカーの波及により、さらに技術、ポゼッション偏重になりつつある時代の流れの中で、忘れてはならない原始的な部分を、本気で信じ、変わらぬ情熱のままやり続ける。森山監督の象徴的な言葉の一つに、“気持ちには引力がある”という言葉がある。戦う気持ちがない者、ないチームに勝利は微笑まない。それはサッカーの世界では当たり前であり、サッカーをする以前の問題である。だが、それがおろそかになっている中で、愚直なまでにこだわる森山監督の姿勢は、見ていてすごく気持ちが良く、そして忘れてはいけないものが何なのかをいつも教えてくれる。

「試合中や試合前などは、細かい指示はあんまりしていません(笑)。『危なかったら全力で戻れ』、『チャンスだったら行け』とか、当たり前のことを言っています」(森山監督)

 この言葉で選手が動くのは、それだけの過程を経ているからこそ。試合中はシンプルな言葉で、シンプルに意図を伝えることが大事で、そのためにはその言葉が持つ“重み”を選手たちに植え付けないといけない。森山監督はその重みを、植え付けるプロと言っていい。常日頃の指導、生活の中で意義と意味を堆積させ、いざという時に選手の頭、身体にシンプルかつ効果的に届く状態を作り出す。森山イズムの真骨頂はここにある。

 16日の高円宮杯チャンピオンシップの試合前、森山監督からのメッセージにすべてが凝縮されていた。
「相手の方がうまいが、勝負はうまさでは決まらない」

 この言葉を受け、選手たちはピッチで大きく躍動した。相手の東京Vユースには、すでにトップチームで活躍をしているFW中島翔哉を含め、トップ昇格選手が6人もおり、高円宮杯プレミアリーグイーストを無敗で制した“最強チーム”。対する広島ユースは、トップ昇格はMF野津田岳人のみ。だが、「個人、個人の勝負ではきつい。だからこそ、相手よりも早く上がる、相手よりも早く戻ることで、数的優位を作れば局面は打開できる」(森山監督)ことを、彼らは実行した。1分の先制点は、相手GKが接触プレーで倒れたが、レフェリーが笛を鳴らしていないことで、セルフジャッジをすることなくゴールを求めた野津田の執念から生まれた。これで流れをつかむと、41分に加点。47分に1点を返されるも、わずか10分後の57分に、エース野津田が目の覚めるような強烈ミドルをたたきこんで、勝負を決めた。その後も足を止めることなく、試合を支配し、63分にはキャプテンのDF平田惇が鮮やかなゴールで、ダメ押しの4点目を挙げて、4−1で勝利した。

「野津田と平田は1年の頃から出ていて、今年は3年生として引っ張ってくれた。この2人が大事な仕事をしてくれたのは、本当にこのチームの良さを象徴している。ここぞというときに、全員がゴールの意識を持って、複数で関わって仕掛けられる。それが自然とやれたからこそ、優勝することができた」(森山監督)。

 3連覇を飾ったのは、森山イズム全開のサッカーを体現したからであった。だが、この快挙に水を差すような、非常に悲しいニュースがある。それは森山監督が今季限りでチームを離れてしまうことだ。この事実はあまりにも突然に周知のものとなった。コーチ時代を含めて、実に13年間もの間、広島ユースに情熱を注ぎ、今日のチームを築き上げてきた名将があっさりとその舞台から姿を消してしまう。それはあまりに唐突で、やりきれない。彼が築き上げた森山イズムは、サッカーにとってとてもシンプルで、かつ絶対に必要な要素であり、育成という観点からしても欠かせないものである。

『広島ユース=森山イズム』

 この図式が崩れた先にあるものは何なのか。3連覇の輝きの裏で大きな損失を感じていくのは、まさにこれからかもしれない。

 あえて、もう一度言おう。技術偏重の今のユース年代で忘れてはならないこと。それは勝負へのこだわりと執念。それを体現していた数少ないチームの広島ユースの灯は、一体この後どうなってしまうのか。それと同時に、森山佳郎という男の今後の人生にも、注目していきたい。必ず、どこかの育成の現場で、あの『熱』を感じられることを信じながら……。

<了>

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著者プロフィール

1978年2月9日生まれ、岐阜県出身。5年半勤めていた銀行を辞め単身上京してフリーの道へ。高校、大学、Jリーグ、日本代表、海外サッカーと幅広く取材し、これまで取材で訪問した国は35を超える。2013年5月から2014年5月まで週刊少年ジャンプで『蹴ジャン!』を1年連載。2015年12月からNumberWebで『ユース教授のサッカージャーナル』を連載中。他多数媒体に寄稿し、全国の高校、大学で年10回近くの講演活動も行っている。本の著作・共同制作は12作、代表作は『走り続ける才能たち』(実業之日本社)、『15歳』、『そして歩き出す サッカーと白血病と僕の日常』、『ムサシと武蔵』、『ドーハの歓喜』(4作とも徳間書店)。東海学生サッカーリーグ2部の名城大学体育会蹴球部フットボールダイレクター

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