知られざる内田篤人のドイツでの流儀=現在の地位を築いた確固たるスタイルとは
ドイツ語がうまくない内田が用意した1冊のノート
シャルケ04に在籍して3シーズン目。内田篤人は自己流を貫き、チームの主力に定着している 【原田亮太】
その現実を受け入れた上で、自らに何ができるのかを考えていく。そこには、海外だから思うようにいかないといういら立ちも存在しなければ、戸惑いもない。問題が生じれば、それが海外でプレーするということなのだと考え、問題が生じたことを嘆くこともなく、解決することに全力を注ぐ。日本人選手のなかには問題を解決する前の段階で、思考がストップしてしまう者も少なくないのだが、内田にはそんな無駄な時間がないのである。
海外でプレーするうえで最初に直面するのは、言葉の違いである。
ブンデスリーガの場合、基本的にはドイツ語でコミュニケーションをとる。内田が所属するシャルケ04は、トップチームに在籍する24名中13名をドイツ国外の選手が占めており、英語が使われることも多いのだが、いずれにせよ日本人からすれば外国語であることに変わりはない。言葉ができなければ、日本でプレーしていたころのようにコミュニケーションをとることは不可能だ。そうした状況に嘆いたり、怒りを覚えてしまう選手もいるだろう。しかし、内田の場合は言葉が思うように伝わらないことは、トランプにおけるルールのようなものだと認識していて、そこからいかにして進んでいけば良いのかを考えるのである。
まず、内田の特徴として第一に挙げられるのは、伝えなければならないことは、どのような手段を使ってでも伝えるということ。
彼のポジションはサイドバック(以下SB)。つまり、ディフェンスである。そのプレーいかんでは失点に直結してしまうポジションだ。そして、ディフェンスであるからこそ、個人の力ではなく、チームとして連係をとらなければいけない場面がある。加入当初の内田は、そんなチームとしての守備の約束事について、疑問を抱くことがあった。しかしながら、言葉はまったくと言っていいほど通じない。内田が用意したのは、1冊のまっさらなノートだった。
通訳をつけた香川、通訳をつけない内田
ここで驚くべきことは、ノートを用いた内田は、中途半端なレベルのドイツ語を介したコミュニケーションをとる選手よりも、深い理解を得られたという事実だ。普通に考えれば、満足のいかないレベルであってもドイツ語を話せる選手のほうがはるかに有利な状況に置かれているのだが、内田はちょっとした工夫で、そんなハンデを軽々と乗り越えてしまったのである。
実は内田と同時期にブンデスリーガのドルトムントにやってきた香川真司には、練習場から試合の日のロッカールームにいたるまで通訳がつくようになり、そのスタイルで成功を収めたため、香川以降にブンデスリーガにやってきた選手の中で一定の成果を挙げている選手のほとんどに通訳がついている。そうした現状があるからこそ、余計に、言葉が思うように通じない状況にひるまなかった内田の姿勢が際立ってくる。
内田は言葉が通じない現状を逆手に取ることがある。彼のポリシーは、けがをしようとも、体調を崩そうとも、自らそれを理由に練習を休むことはしないということだ。言葉が通じないからこそ、周囲の人間は、自らの性格やプロ選手としての心構えを一つひとつの行動を通して判断しようと目を光らせている。そんななかで内田がとった行動は、周囲から一目置かれるに足るものだった。
例えば2010年7月、チームに合流したばかりのキャンプでの話。他の選手の肘が内田の耳の下に当たり、傷口からばい菌が入り、扁桃腺(へんとうせん)が腫れてしまったことがある。腫れが傍目にも分かるようになるまで内田はプレーを続け、ドクターから練習を休むように言われて、初めてけがの治療に乗り出した。あるいは、加入して2カ月もたたないうちに代表戦で足の指を骨折してしまった。それでも、シャルケに戻ってくるとすぐに全体の練習に合流した。これには鬼軍曹のニックネームがつくほど恐れられている当時のフェリックス・マガト監督も驚きを隠せなかったという。
リベリと心中する覚悟で挑んだバイエルン戦
ドイツ語を思うように話せないからこそ、内田が奮闘した例はほかにもある。
例えば、ブンデスリーガの強豪バイエルンとの試合でのエピソード。右SBである内田はバイエルンの左MFを務めるフランク・リベリのマークを命じられた。すると、試合では徹底したマークでこのフランス代表MFから自由を奪い、チームの勝利に貢献した。実は、ドイツには「一対一」の文化がある。試合時に各選手の一対一の勝率がすべて集計され、データ化されている。そのデータをもって監督が選手の実力を判断することもあるし、ファンがその数字をもとに選手の評価を論じることもある。それくらいドイツサッカーには欠かせない要素なのだ。
多くの日本人選手は、日本で守備のカバーリングについてたたき込まれているため、一対一を重視するドイツのスタイルに戸惑いを見せることがある。しかし、内田は自らに課された役割をしっかりとこなすことが大事だと考え、カバーリングは多少おろそかになったとしても、リベリから自由を奪うことを最優先に考えた。試合には「リベリと心中」するくらいの気概で臨んだという。リベリの自由を奪う一方でカバーリングが思うようにいかないことがあったが、試合後に待っていたのは監督とチームメートからの絶賛の嵐だった。この国の基本である、一対一の局面でリベリを抑え込んだからだ。その結果、内田への信頼度は一気に増した。例えば、シャルケボールのコーナーキックの際には、自陣の前、中央のポジションをとり、相手のカウンターに備える中心的な役割を担うようになった。
内田は自らのポリシーを簡単に曲げることはない。しかし、ひとたび周囲からの意見や監督からの役割に従う必要があると判断すれば、それを徹底的にこなしてみせるのだ。バイエルンのリベリとの対戦はまさにその好例だった。