広島を初優勝に導いた森保監督の手腕=“連敗しない安定感”を生んだ修正力

中野和也

処方せんを正確に書ける森保監督

チームをリーグ初制覇に導いた森保監督。この指揮官の存在こそ、優勝の最大の要因だと言っても過言ではない 【写真は共同】

 浦和戦が裃(かみしも)を着たまま、よそ行きのサッカーをしていたとすれば、C大阪戦は普段着。裃を捨てる思いになるには、何らかの「助け」が必要となる。その「助け」とは、広島の場合は明らかに森保一監督だ。

 例えば、敗れたもののホームで行われた柏レイソル戦での修正は、見事というしかない。試合中に攻撃の起点となる青山がマンマークを受けているのを見て、その後ろにいる森崎和幸とポジションを変更。すると一気にボールの流れがよくなり、森崎和のクサビから同点ゴールが飛び出した。その後もペースは広島が握り、ビッグチャンスを決めていれば勝利できた戦いだった。

 浦和戦での敗戦を受けて、森保監督はトレーニングから選手に強い意識付けを行った。それは「待つ姿勢ではなく、自分たちからボールを奪いにいけ」ということ。それはキャンプから指揮官がこだわった「奪いにいく守備」の再徹底という意味もあるが、何よりも強かったのは積極的な意識を高めたいという意図だ。“恐れるな。縦に入れていけ”。そういう言葉で表現してもいいのだが、森保監督は具体的なプレーで落とし込んだ。

 さらにもう一つ「もっとボールに関われ。人任せにするな」。これは、広島サッカーの本質だ。一つのボールに何人も関わり、ボールを受けること、パスを出すことを怖れない。そんな積極的な「サッカーをする」ことの楽しさを、選手たちに思い出させた。

 森保監督の練習での指示は、それほど多くはない。だがその分だけ、指揮官の思いはストレートに伝わりやすい。もちろん、骨格に筋の通った「コンセプト」があるからこそ、「修正」が短時間でも可能となる。それに加え、チームを的確に診断し、修正のための処方せんを正確に書ける力を森保監督が持っていることが、「連敗しない」修正力の源泉だ。

優勝できた最大の要因は

 C大阪戦から見る今季の広島の特徴は、まだある。それは例えば、若い選手の台頭である。この試合では出場停止の千葉和彦に代わって塩谷司、ミキッチに代えて石川大徳が出場。左サイドの清水航平も、山岸智の病気からチャンスをつかんだ選手だ。

 J1での経験値はほとんどゼロに等しい。なのに、彼らは全く臆することなく、この大一番を闘った。塩谷は対人の強さを十分に発揮してC大阪の強力アタッカー陣を跳ね返した。石川と清水は得点に絡み、ゲームを決定づける役割を果たした。

 今季、千葉と石原直樹の二人にとどまった即戦力の補強。選手層の薄さが懸念されたが、森保監督は松本良一フィジカルコーチの招請などによるコンディショニングの整備をはかるほか、若手の育成に大きな力を注いで「層の厚み」をもたらした。ただ、その育成法とは、カップ戦に積極起用するだけではない。

 週2回、若手だけに特化したハードな二部練習。毎週末に行われる練習試合にもアウエーも含めほぼ全試合に足を運んで、プレーぶりをチェックした。試合に出られない選手たちにも声をかけ、精神面もケアする。「監督に見られている」という意識が「若手の成長」だけにとどまらず、チームが一つの方向に向かって団結できるメンタル面での効果を呼んだ。

 平均得点1.88、平均失点1.03、得失点差プラス28。数字からもチームのバランスの良さは一目瞭然だ。ただ広島の優勝は、森保監督を中心に、若手からベテランまでチームがまとまり、苦境から素早く切り替えて修正することができたことが最大の要因である。

 繰り返し言っておこう。

 優勝を決めたC大阪戦には、今季の広島が凝縮されている。その最大の演出者はもちろん、森保一監督なのである。

<了>

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著者プロフィール

1962年生まれ。長崎県出身。広島大学経済学部卒業後、株式会社リクルートで各種情報誌の制作・編集に関わる。1994年よりフリー、1995年よりサンフレッチェ広島の取材を開始。以降、各種媒体でサンフレッチェ広島に関するリポート・コラムなどを執筆。2000年、サンフレッチェ広島オフィシャルマガジン『紫熊倶楽部』を創刊。近著に『戦う、勝つ、生きる 4年で3度のJ制覇。サンフレッチェ広島、奇跡の真相』(ソル・メディア)

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