可夢偉、バトンとの死闘を制してつかんだ表彰台=絶好のスタート、終盤の猛プッシュで快挙達成

田口朋典

終盤のバトンの猛追を振り切る

終盤はバトンの猛追を受けたが、可夢偉(手前)はタイヤをうまく使って振り切った 【写真:ザウバー】

 そのまま31周目に2度目のピットインをこなすと、終盤は怒とうの追い上げを見せるバトンに対抗し、消耗したタイヤで自己ベストラップを連発するなど、まさに3位表彰台をめぐっての“死闘”をくりひろげる可夢偉。しかし、ラスト2周、すんでのところで後ろのバトンをDRS(可変リアウイング)圏内に寄せ付けずコンマ5秒差で逃げ切り、夢にまで見た母国GPでの3位チェッカーを受けたのだった。

「最後の方はかなりキツかったけれど、途中タイヤを温存して。あまりうまくはいかなかったけれど、そこからプッシュしていって(バトンに)DRSを使わせなかった。本当に厳しかったけれど、なんとかね」と振り返った可夢偉。

「スタートで2番手に上がった時は、一瞬これなら表彰台に行けるんじゃないかとも思ったんですが、まあ、長いレースでは何が起こるか分からないんで。(昨日は最後の1周になったら表彰台のことを考えるとコメントしたが)結局最後まで表彰台のことなんて考えず、このポジションをどうやって守るか、ということに集中していた。チェッカーを受けた後、スタンドでファンのみんなが大きく手を振ってくれているのが見えて、本当にうれしかった。自分にとって初めての表彰台が鈴鹿だなんて、信じられない」と喜びを語った。

来季の去就は不透明、残りレースにベストを尽くす

記者会見の合間に、笑顔で会話するベッテル(左)と可夢偉 【田口朋典】

 大観衆の前での母国での初表彰台にも、「初めての表彰台から見た光景は……、普通でした(笑)。明日、まだ鈴鹿サーキットで仕事があるんだよな、とか思ってましたね」と可夢偉。終了後の会見で、「可夢偉といっしょに表彰台に上がるのは、F3時代以来、久しぶりだよ」と、眼を潤ませながら昔を懐かしむコメントをしたベッテルの横でも涙を見せることなく終始笑顔を見せた。

「F3時代は(ベッテルと)仲が良かったですからね。よく一緒にF1ゲームやったなあ、とか思い出していた」

 日本人ドライバーとしては04年の佐藤琢磨以来8年ぶり、前述したように鈴鹿では22年ぶりとなった感動的な表彰台にも、「僕にとっては思い出。これからどうなるかはまだ分からないですから」と語った可夢偉の言葉通り、来季の去就はまだ不透明だ。

「周囲の人は将来のことを気にするけれど、僕は残り1戦、1戦を頑張るしかない。まだ5戦あるし、この表彰台でホッとすることもできないし、コンストラクター争いでメルセデスにちょっと近づけたかな、という感じです」と冷静に締めくくった可夢偉だが、彼が自らの力でようやく勝ち獲った表彰台というリザルトが、少なからず来季以降に繋がると信じたい。それほどに、今日の可夢偉は素晴らしいレースを見せてくれた。

<了>

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著者プロフィール

1966年生まれ。大学卒業後、趣味で始めたレーシングカートにハマり、気がつけば「レーシングオン」誌を発行していたニューズ出版に転職。隔週刊時代のレーシングオン誌編集部時代にF1、ル・マン、各種ツーリングカーやフォーミュラレースを精力的に取材。2002年からはフリーとなり、国内外の4輪モータースポーツを眺めつつ、現在はレーシングオン誌、オートスポーツ誌、CG誌等に執筆中。自身のブログ“From the Paddock”(スポーツナビ+ブログで)では、モータースポーツ界の裏話などを披露している

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