香川真司の原点、物語は宮城から始まった=「香川を語る!!」 FCみやぎバルセロナ時代

安藤隆人

5年間を過ごした仙台

香川は少年時代から明確で高い目標を持っていた。香川が描く具体的な将来像に、FCみやぎバルセロナの日下氏も驚いたという 【Getty Images】

 香川真司を語る上で欠かせないのが、宮城県で過ごした5年間である。中学進学と同時に生まれ故郷の兵庫県を離れ、宮城県の仙台市にやって来た真司少年。たぐいまれな才能を持った少年が選んだのは、仙台にあるFCみやぎバルセロナという街クラブだった。

「真司は小5の段階で宮城には何度か来ていたんです。本当にサッカーに対してまっすぐで、そして向上心の強い子でした」

 こう語るのは、日下昇氏。FCみやぎバルセロナの代表として、香川を受け入れた人物だ。日下が受けた香川真司の印象は、幼い顔立ちだが、非常にしっかりしているというものだった。

小5の時から持っていた高い目標

「小5の時に神戸NKクラブのコーチと、ウチのコーチのつながりで、夏休みに遊びに来ていたんです。それで、『こっちでやってみないか』と誘ったら、本人も気に入ってくれた。印象ですか? 印象は体があるわけではなく、ひょろっとしているけど、止めて蹴る、ボールの持ち方、スキル、ファーストタッチが抜けていた。何より遊びの中で楽しそうにサッカーをやっている姿が印象的なサッカー小僧でしたね。一番驚いたのが小5の時から高い目標を持っていたこと。プロという目標をしっかりと見ていて、将来行くべき段階的な目標を持っていたんです」

 ある日、日下が真司少年に「目標は何なの?」と問いかけた。すると、小5の彼の口から驚くような答えが返ってきた。

「プロになることです」

 ここまではよくある答えだったが、その後が違った。

「どこかのJの下部組織に入って、選抜に選ばれて、全国大会に出る。もしJジュニアユースに入れなかったら、クラブチームに入って、そこで頑張って、高校はユースか強豪校に入って、頑張ってプロになる。プロに入って2年くらいは出られないけど、我慢して、試合に出られるようになったら年代別代表に入って、ステップアップしていきたい」

 あまりにも具体的な将来像だった。「普通なら、『プロに行きたい!』で終わるのに、目標までの道が段階的に見えている」と日下は驚いた。
 
 この2年後、真司少年は宮城にやって来た。入団当初から高い意識を持ってサッカーに打ち込む香川にとって、ドリブルに特化し、個人技を磨きながらも、勝負にはこだわるサッカーは性に合っていた。以来、故郷から遠く離れた宮城の地で、毎日日が暮れるまでボールと触れ合った。

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著者プロフィール

1978年2月9日生まれ、岐阜県出身。5年半勤めていた銀行を辞め単身上京してフリーの道へ。高校、大学、Jリーグ、日本代表、海外サッカーと幅広く取材し、これまで取材で訪問した国は35を超える。2013年5月から2014年5月まで週刊少年ジャンプで『蹴ジャン!』を1年連載。2015年12月からNumberWebで『ユース教授のサッカージャーナル』を連載中。他多数媒体に寄稿し、全国の高校、大学で年10回近くの講演活動も行っている。本の著作・共同制作は12作、代表作は『走り続ける才能たち』(実業之日本社)、『15歳』、『そして歩き出す サッカーと白血病と僕の日常』、『ムサシと武蔵』、『ドーハの歓喜』(4作とも徳間書店)。東海学生サッカーリーグ2部の名城大学体育会蹴球部フットボールダイレクター

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