松井大輔、不遇の1年で取り戻した自分らしさ=新天地のブルガリアで誓ったこと

木村かや子

「やっとサッカーができる」

ブルガリアに新天地を求めた松井。「やっとサッカーができる」と入団決定の喜びを語り、早速公式戦デビューも果たした 【写真は共同】

 ブルガリアのスラビア・ソフィアに加入した松井大輔が9月23日、ホームでの対ロコモティフ・ソフィア戦で、新天地での公式デビューを果たした。現地に渡ってわずか10日のぶっつけ本番。公式戦のピッチに立つのは、昨年10月の故障以来ほぼ1年ぶりである。それで2−0の勝利のみならず、イエローカードまでちゃっかりちょうだいするとは、さすがフランス仕込み、といったところか。

 ちなみに1926年を皮切りに8回の国内優勝歴を誇るスラビアは、現在のリーグ形式になってからは96年に優勝を遂げているが、ここ最近はブルガリアAリーグの中堅に位置しているクラブ。今季は6節終了時点で3位につけ、なかなかの好調ぶりを見せている。ソフィアといえば数年前にチャンピオンズリーグ(CL)本戦に出ていたレフスキが有名だが、ブルガリア1部リーグには、全16チーム中、ソフィア市のクラブが5つもある。それから見て、ソフィアはブルガリア・サッカーのメッカらしい。

「なかなか決まらなかったけど、やっとサッカーができる。今は率直に、早くチームや、ファンに認められたい、早く結果を残したいという気持ちしかない。クラブが決まってうれしいとかいうよりも」

 これが、入団決定の感想を聞いた際の、松井の第一声だった。ブルガリアのクラブを選んだ理由については、「もう一度、違う地に行って再スタートを切りたいと思った。それに何より、1年ではあるけれど(契約は1年)、試合に出ることが最も大事だから、第一に試合に出るということを考えて」――ディジョンで長く出場機会がなかっただけに、彼がピッチに飢えていたことは間違いない。

 しかし、状況に強いられ、とにかくプレーできそうなところに行く、という姿勢かと言えば、それだけではない気がするのだ。実際、今回彼と話した際の印象は、久々に、好奇心と、冒険心と、進取の気性に富んだ松井を見た、というものだった。

「僕はフランスしか知らなかったから、いろいろなサッカーを見ることができるというのは、自分の経験値をあげるためにもプラスなことだと思う。いろいろな国のいろいろなチームに行って、いろんなやつに出会い、いろんなことを盗みたい。いまからでも盗めると僕は思っている。自分としてはずっと若い気持ちで行きたいから、そういう気持ちを忘れずに」

 こう言う松井の声は、お決まりのせりふをただ並べているという風ではなく、好奇心に弾んでいたのだが、それには、スラビア・ソフィアのチームレベルも関係していた。チームを訪問する前には、「どんなサッカーなんだろう。すごく下手なんじゃないか」とも思ったと認めた彼だが、そこに待っていたのはうれしい驚きだった。

「意外や、みんなすごくテクニックがあるんですよ。東欧の選手は技術力が高いんで、びっくりした。正直言って、めちゃくちゃうまい。このクラブだけかもしれないし、たぶん戦略面や、俊敏性、フィジカル的強さはフランスよりないのかな、と思うところはあるけど、個人のテクニックに関しては、間違いなくフランスより上」と松井は興奮した口調で説明する。

 契約が決まるや、ほっとする間もなく「認められたい」と気合を入れたのは、レギュラー取りも容易ではないと察知したからでもある。その意味、うれしい驚きは、厳しい驚きでもありえるわけだ。「かなり気合入れて頑張らないと。もちろんサッカーはテクニックだけじゃないから、試合が始まってみないと分からないけど、とにかく一気に変わって、これは楽しくできるかも知れないと思った。うまい選手たちの中でやれるというのは」

 聞くところによれば、スラビアはいくつかあった選択肢の中のトップではなかったという。「ほかに行ってもいいと思うところはあった。決め手は、スラビアの会長が僕のことをすごく好んでくれたということ。人格者というか、面白い人で、打ち解けあうことができたので、ここでやってみたいという気になった」と松井は言う。

背番号は不運を振り払うラッキー7

 こうして、ついに新しい冒険に乗り出した松井だが、ディジョンでの出場数の少なさが災いし、移籍決定までにかなり時間がかかった。その間、当然ながら不安や心の葛藤もあったという。

「不安はあったけれど、でもずっと、いつか決まるんだろうな、っていう気持ちでいた。欧州の経済が悪くなっていることもあって、今回(移籍)市場がぜんぜん動かなかったし、いまだ行き先が決まっていない選手も大勢いる。だからそんな中で契約できたというのは、すごく幸運だったし、これから試合に出て頑張れば、また違うチームに行くことにもつながるかもしれない。いずれにせよ今回は、ディジョンで試合に出ていなかったから、長引くだろうなと前もって覚悟していた。実際、いくつかの興味を示してくれたクラブとの交渉の際に、先シーズンにほとんど試合に出ていないということを指摘され、それが一番ネックになったので」と松井は明かす。

 まずは試合に出て調子を上げ、冬の移籍市場でより希望に沿ったところへ、という考えもあるかとたずねると、否定はしなかった。「それは思っている。ここで活躍できれば、来夏、あるいは1月の移籍も可能かもしれないし、クラブもそのことを承知してくれている。でも、それも視野にはあるけれど、今はとにかくここで試合に出て頑張ることだけを目指したい」と松井は言う。

 昨年10月の故障からは12月に回復したが、以降、ディジョンでの出場は皆無。つまりほぼ1年弱実戦から遠ざかっていたことになり、調子を上げるのに苦労するのではとやや心配にもなる。しかしそのための準備を、先シーズン終了直後の5月末から始めていたという松井は、「一から体を作らなければならないから、最初はフィジカル・コーチにメニューを作ってもらい、見てもらいながらずっとひとりでトレーニングしていた。それから、ほかのチームの練習に参加させてもらったりしながら準備し続けてきたのでコンディションは上がってきている。体という面では全く問題ない」と、不安は見せない。

 入団記者会見では「ブルガリアについて何を知っているか」と現地記者にたずねられ、元バルセロナの選手で、柏レイソルにもいたことのある名選手、フリスト・ストイチコフの名に加え、ブルガリア・ヨーグルトと相撲の琴欧洲を挙げた。ストイチコフとヨーグルトを混ぜるお茶目さが、松井らしくてほっとする。「単なるリップサービスでブルガリアの女性はきれい、ってひとこと言ったら、それだけがヤフーにバーンと出てましたね」と、徐々に語調も軽快になった。

 また松井は、今回、背番号に7を選んだ。松井のルマン時代の背番号22には、実は『22時=10時』という10へのこだわりが隠れていたのだが、ここで7を選んだ理由を聞くと「またドリブルをイメージして、クリロナ(クリスティアーノ・ロナウド)と同じ番号を選んだ、とかいう話にしたいんでしょう」と笑ってから、「10番はなかったし、22番も埋まってた。28は残ってたけど、ディジョンではついてなかったから縁起が悪い。7はいい番号だし、ちょうど空いてたので」との説明。そして、7はラッキー7でもある。

 ここのところ移籍運がなかったが、「確かにここではラッキーな空気を感じている。移籍が決まったのもそうだし、すべてにおいて」という松井は、運気の転換を予感しているという。

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著者プロフィール

東京生まれ、湘南育ち、南仏在住。1986年、フェリス女学院大学国文科卒業後、雑誌社でスポーツ専門の取材記者として働き始め、95年にオーストラリア・シドニー支局に赴任。この年から、毎夏はるばるイタリアやイングランドに出向き、オーストラリア仕込みのイタリア語とオージー英語を使って、サッカー選手のインタビューを始める。遠方から欧州サッカーを担当し続けた後、2003年に同社ヨーロッパ通信員となり、文学以外でフランスに興味がなかったもののフランスへ。2022-23シーズンから2年はモナコ、スタッド・ランスの試合を毎週現地で取材している。

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