駒野友一、“便利屋”からレギュラー奪取へ=恩師・ジーコの前で示した確実性と安定感

元川悦子

強じんなメンタリティーが原動力に

南アフリカW杯ではPKを失敗し、失意を味わったが、そこから立ち直り、継続して代表メンバーに名を連ねているのも強じんなメンタリティーがあるからこそだ 【写真:アフロ】

 そんな地道な彼にも、心が折れそうになる出来事が1度だけあった。南アW杯直前の10年5月に行われた日韓戦(埼玉)。内田が負傷し、ついに定位置奪回のチャンスが巡ってきたのだが、岡田監督が選んだのは、過去に一度も右サイドバックで使われたことがない今野泰幸だった。「前日練習で外されて、あの時だけはさすがにつらかったですね……」と本人も本音を漏らした。

「自分にはそこまで信頼がないのか……」
「単なる便利屋なのか……」

 そう考えたら、やる気を失ってもおかしくなかった。指揮官と衝突して代表を去る選択もありえただろう。実際にそういう選手も過去にはいた。しかし駒野はどちらの道も選ばず、どこまでも辛抱強くチャンスを待ち続けた。南アで4試合すべてに出場し、ベスト16入りに貢献できたのも、その強じんなメンタリティーがあったから。パラグアイ戦でのPK失敗で戦犯扱いされたり、ザックジャパン発足直後の日韓戦(ソウル)で右上腕部骨折という重傷を負うなど、その後も紆余(うよ)曲折を余儀なくされたが、すべてを乗り越えて現在も代表の一員としてプレーし続けている。本人の言う「自信」とは、こうした日々の積み重ねにほかならないのだ。

 とはいえ、ザックジャパンのサイドバックを巡る競争はし烈を極めている。岡田ジャパン時代からしのぎを削ってきた内田と長友に加え、ロンドン世代の酒井宏樹と酒井高徳も急成長。ザッケローニ監督は6月の最終予選・オマーン戦(埼玉)とオーストラリア戦(ブリスベン)で、駒野ではなく酒井宏樹をピッチに送り出している。若さと高さとスピードを兼ね備えたポテンシャルの高い彼への期待は明らか。しかも酒井宏樹を含めた4人はそろって海外でプレーしている。駒野もこの冬、ベルギーリーグ1部のシントトロイデンへの移籍が本決まりになりかけたが、条件面が折り合わずに断念するに至っている。こうしたマイナス面もあって、左右両サイドで計算できる仕事を見せている百戦錬磨の男も今、正念場に立たされている。

「競争が厳しいのはよく分かってます。自分にできるのは、まずコンディションを維持していい状態をキープすること。自分はJリーグで戦っているので、常に意識を高く持ってやらないといけない。Jリーグもレベルは低くないと思うし、そこでもっともっと自分の目指すところを高くしていけば十分やれると思う。チームでは右サイドでコンスタントに出てるんで、いろんな形やコンビネーションで崩せるようにしていきたいですね」と彼は意欲的に語っていた。

生き残りへ不可欠なテーマとは

 国内にいながら世界基準を追い求めるのは難しいことだが、それをやらなければ、代表での出場機会は増やせない。ザックジャパンではすっかり「穴埋め役」や「器用貧乏」のイメージが定着した感が強い駒野だが、本人としてはこのまま控えに甘んじるつもりは一切ない。「南アで悔しい思いをして、世界と戦いたいっていう気持ちはすごく強い」と意気込むだけに、自分自身をスケールアップさせていくしかない。

 その1つに、クロスの質というのがある。酒井宏樹が「コマさんのクロスの正確性はホントにすごい。僕は下手なんでGKとDFの間のスペースを目がけて蹴ることしかできないですけど、コマさんはFWに合わせて蹴り分けられる。それはなかなかできるもんじゃないですよ」と敬意を表するように、彼の左右のクロスの正確性は日本屈指のレベルといえる。ただ、酒井宏樹ほど高速のボールは蹴れない。筋力が衰え始める30代の今、重く速いキックを蹴る努力をするのは簡単ではないだろうが、世界を視野に入れつつ、そういう部分にも取り組んでいくことは肝要だ。

 岡崎慎司や清武弘嗣など、縦関係に陣取る選手とのコンビネーションを改善し、完成度を高めていくことも、生き残りのためには不可欠なテーマ。実際、内田篤人は「人を生かして自分も生きる」というすべに物すごく長けている。6月の最終予選3連戦では岡崎との連係にかなり苦慮していたが、彼なりのツボを得た様子だった。駒野もベネズエラ戦とイラク戦ではいい感触でプレーしていたが「まあまあよかった」というのでは足りない。内田や酒井宏樹を超える明確な利点を示さない限り、ザッケローニ監督の心は動かない。それが何なのかを駒野は真剣に突き詰めていくべきだろう。

 ドイツ、南アの2度のW杯出場は主力選手の負傷や離脱によって棚ぼた的に転がり込んできた。が、2年後のブラジルは自らポジションを奪い取る気概が必要不可欠だ。駒野が恩師・ジーコとの6年ぶりの対戦を原点回帰の好機と受け止め、どん欲に高みを追い求めるようになれば、サイドバック競争も一段と興味深いものになる。彼のさらなる変化に期待したい。

<了>

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著者プロフィール

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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