22人だった=シリーズ東京ヴェルディ(6) 女子サッカーのパイオニアとして
女子ならではの着眼点を持つ「メニーナの鬼軍曹」
なでしこの躍進にベレーザの存在は欠かせない。ロンドン五輪でもベレーザで育った選手たちが多数活躍した 【写真:北村大樹/アフロスポーツ】
8月16日、日テレ・メニーナ(以下、メニーナ)のセレクションが行われた。メニーナは日テレ・ベレーザ(以下、ベレーザ)の育成組織に位置づけられる。集まったのは小学6年生の女子選手、78名。この日は東京ヴェルディ(以下、東京V)の育成・普及スタッフも全員出動し、セレクションの対応にあたった。
近ごろのなでしこ人気で、セレクションには応募が殺到しているのではないだろうか。メニーナの監督を務める寺谷真弓は言う。
「それほど大きな変化はないですよ。今日、来られない子のために2回目を設けていて、合計100名ちょっと。例年との比較では、微増といったところです。世の少子化が進む一方、女子サッカーの競技人口が着実に増え続けている証拠だと思います」
この日、27名が一次セレクションを通過。2次、3次を経て、最終的には5、6人に絞られる。倍率にして、およそ20倍の狭き門だ。
「まれに1次で合格を出す場合もあります。例えば、永里の姉(大儀見優季)がそう。キックのパワー、スピードが段違いで、いずれベレーザで年間20点は固いなと。最近では、U−20女子日本代表に入っている(土光)真代が一発クリアでしたね。ひと目見た瞬間、これは間違いないと確信できた選手です」
寺谷がプレーを見るポイントは、ボールコントロール、プレーにかかわる回数、身体能力、メンタル面など、基本的には男子と変わらない。ただし、女子ならではの着眼点もある。
「瞬間的なスピードを生み出す、速筋の発達は重視します。女子の場合、特に重要性の高い要素です。また、女子はこれから年齢に応じて体が変化していくので、将来的にアスリートの体型を保てるかどうか。体つきや骨盤の張り具合を観察し、ある程度は予想できますが、それだけで確実とは言えません。面接でご両親と会った時は、お母さんの体型を参考にします。いくつかの判断材料をそろえ、最後は長年の勘が頼りです」
寺谷は厳しい指導者として知られ、誰が呼んだか「メニーナの鬼軍曹」という通り名が定着している。「メンタル面の見極めは難しいです。セレクションで受けた印象と、実際チームに入った後の印象は異なることが多い。まあ、こっちも接し方が違うので仕方ないかな。甘い顔は一切見せませんから」と笑った。おそらく、相当数の選手がギャップに戸惑うのではないかと、わたしは思う。
なでしこの躍進につながる強化と普及育成
東京ヴェルディ(以下、東京V)の前身である読売クラブに女子部門ができたのは、1981年のこと。読売サッカークラブ女子・ベレーザの名称でスタートした。以降、30年の長きにわたって日本の女子サッカー界をけん引し、数々の名選手を輩出してきた。ベレーザを率いる野田朱美監督も、日本女子代表として活躍した選手のひとりだ。
女子サッカーの強化と普及育成は、このクラブが持ち続けてきた座標軸のひとつである。それは現在の日本女子代表の躍進と太い線でつながっている。
記憶に新しいロンドン五輪・女子サッカー決勝。日本は米国に1−2で敗れたが、準優勝の好成績を残した。初のメダル獲得は快挙だ。ベレーザからは岩清水梓、阪口夢穂、岩渕真奈の3名がメンバーに入り、バックアップとして有吉佐織が帯同した。過去、ベレーザに在籍した選手を挙げると、澤穂希、大野忍、近賀ゆかり、宮間あや、大儀見がいる。つまり、ここで育った選手たちが主流を形成し、チームの幹となった。