22人だった=シリーズ東京ヴェルディ(6) 女子サッカーのパイオニアとして

海江田哲朗

バックアップメンバー有吉がロンドン五輪を回顧

バックアップメンバーとして五輪を経験した有吉は「ロンドンに行ってよかった」と振り返る。4年後はピッチに立つことを目指す 【海江田哲朗】

「18人に入れなかったのは悔しかったですけど、4人のバックアップに選ばれたのはうれしい気持ちも。複雑でしたが、せっかくロンドンに行けるのだから、その時間を無駄にしたくないと思ったので」

 バックアップメンバーの有吉に、ロンドンで見てきたこと、感じたことを聞かせてほしいとお願いしたところ、快く時間を取ってくれた。経歴を簡潔に説明すると、鹿児島県の神村学園を経て、日本体育大学に進学。関東大学リーグとインカレを連覇し、2010年、ベレーザに加入した。今季は主に右サイドバックで出場するが、左でのプレーも苦にしない。サイドハーフをこなす器用さもあるプレーヤーだ。「1対1に強くて、特に球際での体の入れ方がうまいんですよ。後ろから蹴飛ばしたくなるような、巧妙な入れ方をする(笑)」と野田監督は賛辞を送る。

「大会中、練習やミーティングは一緒に行動して、試合の時だけ別でした。2試合目まではスタジアムが小さかったので、ベンチのすぐ近くにいてロッカールームと自由に行き来できたのですが、カーディフに移ってからは制限されましたね。バスを降りたら分かれ、2階席で試合を見ていました。わたしたちは試合のデータを記録する仕事を任されていたんです。GKはキックの成功率などを記録し、フィールドの選手は味方と敵のシュートシーンを書き、FKの本数をカウントしたり」

 銀メダルをつかむまでの道のりで、最も印象に濃い試合を尋ねた。

「決勝トーナメントの初戦、ブラジル戦ですかね。2位抜けを狙ったことが日本で賛否両論だったのは知っていたので、『これで負けたら帰れないね』と言い合っていました。プレッシャーはありましたけど、どういう状況であれ勝つしかない試合でしたから。途中からゲームにのめり込んでしまって、記録の仕事が手につかなくなっちゃいました(笑)。もちろん、決勝の米国戦も。わたしは勝てると思っていましたよ。昨年のワールドカップ(W杯)とは違い、圧倒的にやられた試合ではなかった。内容は五輪で一番良かった。見ていて楽しかったです。後半、必ず逆転すると思ったんですが……そうならなかったですね」

 米国に敗れ、いったんロッカールームに下がった選手たちは、やがて電車ごっこのような隊列を作り表彰式に入ってきた。どの顔も目の周りを赤くはらし、それでも笑顔だ。思いもしなかった稚気に富んだ入場シーンに、わたしは驚嘆した。

「下に降りられなかったのでロッカールームの様子は分かりませんが、少なくとも意外ではなかったです。ふだんからオンとオフの切り替えがはっきりしていて、練習前はふざけていても、いざ始まったらパリッとする。正直、表彰式の時がメンバーとの差を一番感じました。今さらのように、自分もあそこにいたかったなと」

「22人でチームだと言ってくれた」

 表彰式を見届けた有吉らはロッカールームに向かった。最初に会ったのは阪口だった。有吉とは同部屋で、最も長い時間をともに過ごしてきた。目が合った瞬間に涙が溢れだし、そこから先の有吉の追憶はあいまいだ。抱き合いながら、「ごめんね」という声を耳元で聞いたような気がする。

「そのあと、せっかく夢穂とツーショットの写真を撮ったのに、保存されていなかったんですよ(笑)。それってダメですよねえ。でも大丈夫です。あの時あったことは、ずっと消えませんから。みんな、わたしたちの首にメダルをかけてくれました。取材対応で忙しかった(宮間)あやさんも近賀さんも、バスに戻ってから真っ先に来てくれて」

 有吉の口調には、やりきった感がある。

「22人だったんです。1カ月って長いんですよ。こちら側から、あるいは向こう側からの一方通行だったら、モチベーションや気持ちを保てなかったでしょう。メンバーの人たちが22人でチームだと言ってくれて、行動してくれた。おかげで、わたしたちも最後まで頑張れた。本当にロンドンに行ってよかったです。今回、じかに試合を見て、なかなかできない経験だったと思います」

 次の五輪は、2016年にブラジルのリオデジャネイロで開催される。その前年にはカナダで女子W杯がある。現在、有吉は24歳。十分にチャンスがある。

「4年後ですか。はあ、やっぱ行きたいな。今度こそピッチに立ちたいと思います。もっとサッカーがうまくなりたい。その気持ちはさらに強くなりました」

 ライバルは外ではなく、身内に潜んでいるかもしれない。ベレーザやメニーナには将来性豊かなタレントが粒ぞろいで、開催中のU−20女子W杯ジャパン2012を戦うU−20日本女子代表には6名(編注:村松智子は8月18日に負傷により離脱)が選出されている。まず、有吉はチーム内の競争に勝ち続けなければならない。その先に、手が届きそうで届かなかった景色が広がっている。

<了>

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著者プロフィール

1972年、福岡県生まれ。獨協大学卒業後、フリーライターとして活動。東京ヴェルディを中心に、日本サッカーの現在を追う。主な寄稿先に『週刊サッカーダイジェスト』『サッカー批評』『Soccer KOZO』のほか、東京ローカルのサッカー情報を伝える『東京偉蹴』など。著書に、東京ヴェルディの育成組織にフォーカスしたノンフィクション『異端者たちのセンターサークル』(白夜書房)がある。

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