48年ぶり+日本人初の快挙! 村田諒太“誇り”の金メダル=ボクシング
東京五輪以来、実に48年ぶりの金メダルを日本ボクシング界にもたらした村田諒太 【Getty Images】
現地時間11日、村田諒太(東洋大職)がミドル級(75キロ級)の決勝戦に勝利し、金メダルを獲得。ボクシングの日本人選手としては1964年東京五輪のバンタム級(56キロ級)、桜井孝雄さん(故人)以来、48年ぶり2人目の快挙を達成した。
そして、もう1つ称賛すべきは、ミドル級で頂点に立ったということだ。この階級はオリンピックでは一番層が厚いとされ、体格で劣る日本人では到底かなわないというのが“常識”。村田自身も「日本人ということを考えれば奇跡的なこと」と語っている。しかし、その壁を打ち破り、バンタム級を越える階級では日本人としては初のメダル、それも金メダルを首にかけたのだから、これはもう日本スポーツ界においても歴史的快挙なのだ。
「金メダルを狙ってやってましたんで、夢ではなく、僕の金メダルは目標だったので、それを達成できたのは自分自身誇りに思いたいです」
再び薄氷の1点差、スタミナ勝負が勝利のカギに
「いやぁ、本当に研究されてますね。追う展開になると思っていたら、逆に追われるような展開になって、本当に昨日に引き続き、面食らいましたね」
初回こそ村田はポイントで5−3とリード。しかし、対戦相手のエスキバ・ファルカン(ブラジル)は、前日に村田を苦しめたアボス・アトエフ(ウズベキスタン)を参考としたかのように、頭がぶつかるほどの接近戦を仕掛けてくる。またファルカン自身、昨年の世界選手権で村田に完敗していることからも相当な対策を練ってきたのだろう。2Rに入ると今度は手数を多く出して常に先手を奪う戦法をとり、村田に的を絞らせない。最終3Rも同様に先手、先手の手数で攻勢をアピールしてくる。見た目の印象では村田が苦戦しているように映ったかもしれない。しかし、一番苦しくなるはずの最終ラウンドの劣勢すらも跳ね返す武器が、村田にはある。
「スタミナですね。僕には最後に崩れないスタミナがありますから」
その言葉を証明するかのように、村田は後ろへ下がる相手をグイグイと追い続け、右のショートフックからアッパー、そして相手のスタミナを奪う強烈な左ボディーブローのコンビネーションをヒット。まったく止まる気配すら見えない村田のフットワークと圧力にファルカンはクリンチして逃げるしかなく、結局、このクリンチの多用がホールディングの警告を取られて減点。これが勝敗を分けた。
「相手に減点もあったので勝ったとは思ったんですけど、本当にホッとしました」
金メダルより世界王者より価値あること、それは……
「これがゴールだと思えれば涙も出てくると思うんですけど、取った瞬間にこれがゴールなのかスタートなのか、見えなくなってしまった気がします」
その“スタート”が何なのかは分からないと付け加え、(パンチを)打たれすぎておかしいだけかもとおどけた村田。注目されるプロ入りの可能性についても、肯定も否定もしない言い回しで素直な心情を明かした。
「僕は東洋大学の職員ですから、東洋大学に対する貢献だけを考えて、それがオリンピックにもう1度出ることか、プロになることか、大学職員として一人前になることか、しっかり考えて進路は決めたいと思います」
48年ぶりの五輪金メダリスト、それもミドル級となればプロのジムが放っておくはずがない。スター性も十分兼ね備えているし、対立を続けてきたプロとアマが協力の歩み寄りを始めた今、村田の存在はプロ・アマを越えた日本ボクシング界の革命的な存在となっていくだろう。
しかし、これからますます騒がしくなるであろう周囲の喧騒をよそに、村田はマイペースに、人生の指針とも言うべきこれからの“価値”を語り始めた。
「金メダルが僕の価値ではないんです。これからの人生が僕の価値。このままアマ一本で行くのかどうかはちょっと考えますけど、僕の憧れは(高校時代の恩師で故人の)武元前川先生。武元先生と同じように、僕みたいなオリンピックに行ける選手を育てることが、金メダルよりも世界チャンピオンよりも価値があることだと思っています」
高校5冠を獲得し、日本選手権も5度制覇するなど輝かしいエリート路線を歩んできた一方で、北京五輪の代表権をかけた大会で敗退。オリンピック出場を逃し、一度は引退しながらも再び五輪を目指し復帰した。
「金メダルを持ってみると、つらい時期があったなんて思えない。すべてはつながっていますから」
金メダルを手にしたことで見えてくる、新たな道もあるだろう。村田の劇的なボクシング人生はこの先、どのようなストーリーをつないでいくのだろうか。
<了>
(取材・文/森永淳洋)
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