この年代の日韓関係は変わる=U−23韓国 2−0 U−23日本

大住良之

「内容では負けていなかった」

0−2で敗れた日本。しかし、五輪の舞台で力を見せたことが今後に影響を与えるかもしれない 【Getty Images】

 だがこのロンドン五輪3位決定戦での対戦は、2−0で勝った韓国の日本に対する優越性を証明するものではなかった。逆に、日本が仕掛けたパスワーク、そして何より大津、永井らのスピードは、韓国守備陣を震え上がらせた。

 実際、前半38分に思いがけない形から先制点が入るまで、韓国は日本の攻撃をしのぐのが精一杯の状態だった。

「結果は負けだったけれど、内容では負けていなかった。だからこそ余計悔しい」

 試合後、多くの日本選手が異口同音にこんなことを語った。
 それは裏返せば、韓国選手たちの心理は「勝ったけれど、内容では負けていた」ということになるだろうか。

ボールを支配し、個人的にも強さを見せた日本

 ロンドン五輪を戦ったU−23日本代表の多くは、今後続々と日本代表に選ばれ、2014年W杯・ブラジル大会を目指すことになるだろう。日本代表のアルベルト・ザッケローニ監督は、9月のイラク戦(W杯・アジア最終予選)まではあまりメンバーをいじらないだろうが、10月に予定されている欧州遠征ではこのU−23世代を何人も呼ぶ可能性がある。

 韓国も同じだろう。ただ、ひとつだけ違うのは、本田圭佑(CSKAモスクワ)や香川真司といった選手たちのいるフル代表には恐れなど感じないク・ジャチョルらのU−23韓国代表選手が、今後は同じ年代のU−23代表選手たちの動向を気にするようになるのではないかという点だ。

 五輪の3位決定戦という重要な舞台で、日本は韓国に0−2で敗れた。

 しかし、もし次回対戦することがあれば、結果はまったく逆になってしまう可能性もある。それほど日本はボールを支配し、個人的にも強さを見せて韓国の守備を不安定にしたのである。

 この新しい世代が入ることによって、日韓関係は変わっていくのではないか。負けたが、世界規模の大会の3位決定戦という高い舞台で韓国と戦い、日本が力を見せたことは、想像以上に今後の日韓の関係に影響を与えるかもしれない。

<了>

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著者プロフィール

サッカージャーナリスト。1951年7月17日神奈川県生まれ。一橋大学在学中にベースボール・マガジン社「サッカーマガジン」の編集に携わり、1974年に同社入社。1978年〜1982年まで編集長を務め、同年(株)ベースボール・マガジン社を退社。(株)アンサーを経て1988年にフリーランスとなる。1974年からFIFAワールドカップを取材。1998年にアジアサッカー連盟「フットボール・ライター・オブ・ザ・イヤー」を受賞。 執筆活動と並行して財団法人日本サッカー協会 施設委員、広報委員、女子委員、審判委員、Jリーグ 技術委員などへの有識者としての参加、またアドバイザー、スーパーバイザーなどを務め、日本サッカーに貢献。また、女子サッカーチーム「FC PAF」の監督として、サッカーの普及・育成もつとめる。 『サッカーへの招待』(岩波新書)、『ワールドカップの世界地図』(PHP新書)など著書多数。 Jリーグ開幕年の1993年から東京新聞にてコラム『サッカーの話をしよう』がスタートし、現在も連載が継続。

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