小原、苦難を乗り越えつかんだ真の女王の座=レスリング

田中夕子

自分の気持ちに正直になり決断「もう一度私がやる」

勝利が決した瞬間、小原はマットに泣きくずれた。さまざまな思いが優勝の喜びとともに溢れだした 【Getty Images】

 小原はその後、代表コーチに就任し、妹を含めた後進の指導に当たった。自ら選んだ進路のはずが、スパーリングを繰り返すたびに、くすぶる思いを抱える。
「若い子たちに、『そんな技じゃ、オリンピックに出られないよ』と言っても、響いていかないんです。その姿を見ていたら、本当にこの子たちはオリンピックに出たいのか。自分以上にオリンピックに懸ける思いを持った選手は、いないんじゃないかと思うようになりました」

 妹も例外ではなかった。
 アテネ、北京で連続出場し、銀メダルを獲得した伊調が引退し、ロンドンへの最有力候補であるはずが、練習に実が入らない。どうしたら真喜子を強くできるのか。姉として、コーチとして模索しながら臨んだ09年の世界選手権(デンマーク)。8位に終わった妹が、小原に言った。
「もう私じゃ勝てないと思う。日登美がやったほうがいいし、日登美も『自分のほうが強い』と思っているんじゃない? もう遠慮しなくていいから。日登美に、オリンピックを目指してほしい」

 二度の五輪への挑戦を絶たれ、燃え尽きていたのは小原ではなく妹のほうだった。
もしかしたら、自分がそうさせてしまったのではないか。自責の念に駆られながらも、年末の日本選手権まではと妹を鼓舞し、コーチ役に徹した。

 だが、「真喜子を勝たせたい」と思っているはずなのに、「オリンピックを目指したい」という思いも、日を重ねるごとに強くなる。
 09年の日本選手権での優勝を区切りに、現役引退を決意した妹へ、小原が言った。
「もう一度私がやる」
 妹も、即座に応えた。
「私の分も、オリンピックにぶつけてほしい」

実現した「2人の夢」 ロンドンで小原が真の女王に

 51キロ級から48キロ級へ階級を変えると同時に、食生活や生活習慣も変えた。好きだったスナック菓子や肉類を控えめにし、外食中心の生活から電子レンジで簡単に作れる温野菜や、蒸し物を中心にした自炊生活を続けた。

 練習や減量が厳しくなり、ストレスがかかる時期には妹がおにぎりや、ローカロリーのパンやケーキをつくって持ってきてくれるのもありがたかった。
 差し入れには、いつも手紙が添えられていた。
「大変かもしれないけど、頑張れ。日登美ならできるよ」
 時にライバルとして、時にコーチと選手として。ぶつかり続けた姉妹が、やっと素直に歩み始めた「2人の夢」だった。

 そして、迎えたロンドン五輪の決勝戦。
 第1ピリオドを取られながらも第2ピリオドを取り返し、第3ピリオドも相手を場外に押し出して先取点を得た小原が優勢に試合を運ぶ。

 残り1分に近づいたところでさらに1ポイントを追加し、30秒、20秒、10秒、時計の針が進む。スタンドで見守る妹は、涙をこらえることができなかった。
「数えきれないぐらいの思いが、いっぱい浮かんできました。日登美が連れてきてくれて、やっとここに来ることができた。今はもう、ありがとう、の思いしかありません」
 
 勝利の瞬間、小原は両手で顔を覆い、あふれる涙を拭った。
 家族のために。支えてくれた人のために。いつも自分より、誰かのために戦い続けた、心優しいチャンピオン。
「どんな時でも諦めずに頑張れば、夢はかなう。この舞台に立つことができて、優勝できて本当にうれしいです」
 悲運の最強女王が、最後の挑戦を制し、長い道のりを経て、ようやく真の女王になった。

<了>

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著者プロフィール

神奈川県生まれ。神奈川新聞運動部でのアルバイトを経て、『月刊トレーニングジャーナル』編集部勤務。2004年にフリーとなり、バレーボール、水泳、フェンシング、レスリングなど五輪競技を取材。著書に『高校バレーは頭脳が9割』(日本文化出版)。共著に『海と、がれきと、ボールと、絆』(講談社)、『青春サプリ』(ポプラ社)。『SAORI』(日本文化出版)、『夢を泳ぐ』(徳間書店)、『絆があれば何度でもやり直せる』(カンゼン)など女子アスリートの著書や、前橋育英高校硬式野球部の荒井直樹監督が記した『当たり前の積み重ねが本物になる』『凡事徹底 前橋育英高校野球部で教え続けていること』(カンゼン)などで構成を担当

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