立石諒、大きな壁を越えたその先に=競泳

田中夕子

訪れた思わぬ転機

レース後、北島(奥)と抱き合う立石。ずっと追いかけてきた存在を抜き去り、初の銅メダルを獲得した 【Getty Images】

 2年半前の2010年2月、立石諒(NECグリーン)は引退を決意していた。
「日本選手権にも出ないつもりでした。北京(五輪)を逃した時はショックでしたが、『少し休もう』と思っただけでした。でも、09年が終わって、1人になった時は『辞めよう』と思ったし、完全に気持ちも切れていました」

 初めて挑んだ08年の北京大会。「天才」と称された立石は、初の五輪出場を期待されながらも、200メートル平泳ぎで2位の末永雄太に0.16秒及ばず、切符を逃した。それでも、湘南工大付高の2年時に出場した06年の国体では北島康介の持っていた高校記録を6年ぶりに1秒以上更新。09年には短水路日本選手権の100メートル、200メートルで、当時の日本新記録を更新して優勝を果たした立石は、北島を追う筆頭、ロンドン五輪では次世代のエースとしての期待がかけられた。

 順風満帆に思われた過程に、思わぬ転機が訪れたのはその直後だった。

 環境を変えるためにスイミングクラブの移籍を試みるも、失敗に終わり、練習場所とコーチを失い、たった1人での挑戦を余儀なくされた。北京五輪の直後から、「ロンドンへ、五輪を目指すための4年」であるはずが、計算外の事態に見舞われ、高校時代の師である堀川博美氏に思いの丈を告げた。

「もう辞めようと思います。2月の短水路で終わりです」
 堀川は当然、立石を引きとめた。もっと別の場所があるはずだ。諦めるな。
 本気で心配してくれる師の存在がありがたかったが、先は見えない。本気で水泳を離れる決意を胸に、気分転換を兼ねて、親友のいる米国へと旅立った。

再びスタートラインへ

 ジュニア時代から何度も遠征を共にしてきた親友は、笑顔で立石を迎えた。
「もう辞めちゃえよ」
 立石の性格を理解し、心情を察してくれる友の存在がありがたかった。
 だが、その言葉とは裏腹に、誰よりも立石が競泳から離れることを反対していたのが、その親友でもあった。立石には告げず、実は近くにあるスイミングクラブのコーチに「諒を見てほしい」と頼み込んで、泳げる環境を整え、親友の訪米を待っていた。

「泳ぎに行ってこいよ」
 失ったはずの環境が、そこに用意されていた。立石はクラブで練習する他の選手に混ざって再び泳ぎ始めた。練習は、朝の4時から。屋外プールのスイムベンチに霜が降りる中、10度にも満たない水温のプールで凍えながら泳いだ。

「メニューも半端なくきついし、泣きそうでした。でも不思議と、その生活が、泳ぐ楽しさをもう1度教えてくれました」
 帰国した立石を待っていたのが、渡米中も何度も繰り返し、立石にメールを送り続けた堀川だった。

 愛弟子の可能性を、夢を絶やさぬように――。神奈川県水泳連盟の強化委員長に立石の現状を話し、何度も頼み込んだ結果、NECグリーンスイミングクラブでの受け入れが決まっていた。
「もう1回やる以上は、勝ちたいと思って帰ってきた。何とか結果を出して、『立石、続けて良かったな』と言ってもらいたいし、今まで以上に負けたくないと思うようになりました」

 10年の日本選手権で50メートル、100メートル、200メートルの三冠を達成。ロンドンへ向けて、再び立石はスタートラインに立った。

憧れだけではなくなった北島の存在

 11年の代表選考会では200メートルは4位に終わったが、100mは2位で世界選手権出場を決める。「感覚も調子も良かった」と万全の状態で臨んだはずだったが、本番では9位。決勝に残ることすらできずに終わった。
「本気でオリンピックを狙うためには、このままじゃヤバイと思って、練習のやり方自体を見直しました」

 体づくりに重きを置き、世界選手権まではウエートトレーニングをベースにして取り組んできた。水中練習時もひたすら距離を泳ぎ込むため、それまではクロールや、個人メドレーの要領で4種目を組み合わせてきたが、「自分は平泳ぎなのだから、平泳ぎで泳ぎ込まなければ意味がない」と、距離練習もスピード練習もすべて平泳ぎのみに切り替えた。

「周りの1.5倍ぐらい時間がかかるし、何よりきつい。でも確実に泳ぎが変わった実感がありました」
 泳ぎの変化は、意識も変えた。
 高校時代は「隣で泳ぐだけで緊張した」という北島の存在も、憧れだけではなくなった。
「僕が初めてオリンピックを意識したのは、康介さんがアテネで金を獲ってからでした。だから自分が『ポスト北島』と言ってもらえるのはすごく光栄だし、だからこそ、勝ちたい。たとえ相手が康介さんだろうと、それ以上のタイムを出せば勝ちですから」

 4月の選考会では100、200メートルともに北島に敗れ、2位で初のオリンピック出場を決めたが、落胆はなく、むしろ自信にあふれていた。
「ここで喜ぶのはまだ早い。勝負する場所は、まだ先にあるので」

 そして迎えた8月1日。ロンドン五輪200メートル平泳ぎ決勝。
 準決勝を7位で通過し、1コースで泳ぐ立石の横には北島がいた。
 前半から積極的に飛ばす北島に、立石も食らいつく。
「僕も前半から突っ込みたいけれど、スピードでは康介さんにかなわない。自分の泳ぎ、作戦を立てないと勝てません」
 ずっと追いかけてきた北島の背中をとらえ、並び、抜き去ったのはタッチの直前だった。

「諦めないで、努力してきて良かった」
 壁を越えたその胸に、銅メダルが輝いた。

<了>
  • 前へ
  • 1
  • 次へ

1/1ページ

著者プロフィール

神奈川県生まれ。神奈川新聞運動部でのアルバイトを経て、『月刊トレーニングジャーナル』編集部勤務。2004年にフリーとなり、バレーボール、水泳、フェンシング、レスリングなど五輪競技を取材。著書に『高校バレーは頭脳が9割』(日本文化出版)。共著に『海と、がれきと、ボールと、絆』(講談社)、『青春サプリ』(ポプラ社)。『SAORI』(日本文化出版)、『夢を泳ぐ』(徳間書店)、『絆があれば何度でもやり直せる』(カンゼン)など女子アスリートの著書や、前橋育英高校硬式野球部の荒井直樹監督が記した『当たり前の積み重ねが本物になる』『凡事徹底 前橋育英高校野球部で教え続けていること』(カンゼン)などで構成を担当

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント