関塚監督と選手たちの信頼関係=U−23日本代表 0−0 U−23ホンジュラス代表

大住良之

監督のプランを忠実に実行した選手たち

1次リーグ3試合で関塚監督(左)と選手たちの間の信頼感は増していった 【写真:AP/アフロ】

 スペイン、モロッコ、ホンジュラスと組んだD組は、決して簡単なグループではなかった。そうした相手に対し、関塚監督は何より守備を安定させ、その上に豊富なタレントを生かした攻撃を組み立てようと「オーバーエイジ」(OA)の吉田と徳永悠平(FC東京)を含めた18人を選んだ。7月11日に東京で行われたニュージーランドとの壮行試合で、関塚監督が目指す方向性は明らかだった。

 ディフェンスラインにOAの選手を入れるだけでなく、FWからの全員守備で相手に余裕を与えないこと。奪ったボールをしっかりと前線の選手につけ、そこからコンビネーションや個人技を使って相手の守備を破ること。

 今回の五輪に向けての関塚監督のプランを選手たちが忠実に実行し、それによって勝利が生まれ、1次リーグ突破、さらには首位という結果を出した。その上、これまであまり使うことのできなかった選手たちにチャンスを与え、準々決勝以降の戦いに向けての準備をさせることができた。そして徳永、扇原、永井、清武、東といった中心選手たちを休ませることもできた。負傷していた酒井宏も回復し、非常にフレッシュな状態でエジプト戦に臨むことができるだろう(サイドバックは2人しか使えないが……)。

 これまでのところ、すべてがうまく回っている。言い直せば、すべてが関塚監督のプラン通りに進んでいる。
「短期間のうちに、チームの一体感が高まってきている」と関塚監督。それは、監督のさい配に対する信頼感が増していることの証でもある。

 そして選手たちに対する関塚監督自身の信頼感も増している。
「スペイン戦で見せたように、90分間の使い方など、大人の戦い方が、チームとしても個人としてもできるようになった。それが1次リーグの3試合で最も成長した点だと思う」

 監督と選手が互いに信頼し合えるチームは、すでにできている。その信頼感が、U−23日本代表で参加するようになった五輪での過去最高の成績だった準々決勝を突破し、ロンドンのウェンブリー競技場で行われる準決勝へとわたしたちを連れていってくれる最大の力になりそうだ。

<了>

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著者プロフィール

サッカージャーナリスト。1951年7月17日神奈川県生まれ。一橋大学在学中にベースボール・マガジン社「サッカーマガジン」の編集に携わり、1974年に同社入社。1978年〜1982年まで編集長を務め、同年(株)ベースボール・マガジン社を退社。(株)アンサーを経て1988年にフリーランスとなる。1974年からFIFAワールドカップを取材。1998年にアジアサッカー連盟「フットボール・ライター・オブ・ザ・イヤー」を受賞。 執筆活動と並行して財団法人日本サッカー協会 施設委員、広報委員、女子委員、審判委員、Jリーグ 技術委員などへの有識者としての参加、またアドバイザー、スーパーバイザーなどを務め、日本サッカーに貢献。また、女子サッカーチーム「FC PAF」の監督として、サッカーの普及・育成もつとめる。 『サッカーへの招待』(岩波新書)、『ワールドカップの世界地図』(PHP新書)など著書多数。 Jリーグ開幕年の1993年から東京新聞にてコラム『サッカーの話をしよう』がスタートし、現在も連載が継続。

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