ピッチの孤影=シリーズ東京ヴェルディ(5)=チームスポーツの社会学を学ぶ
今季3度目の首位、勝利の立役者は土肥
第23節の松本戦での敗戦からポジションを失った柴崎。しかし、クラブ、チームのためにやるべきことをやってきた自負がある 【Getty Images】
開始から東京Vが優勢にゲームを進め、37分にはセットプレーから深津康太のヘッドで先制。ところが45分、中後雅喜が退場処分を受け、後半は10人での戦いを余儀なくされた。東京Vは陣形を整え、最終ラインを細かく上げ下げしながら、できるだけ下がらずに耐える。熊本の前線で特に危険だったのが、柏レイソルから移籍し、この日が初出場だった北嶋秀朗だ。バイタルエリアに余白を作ろうものなら、すぐさまそこを突かれる。
東京Vの川勝良一監督が選択したのは、リスクマネジメントを怠らず、なおかつ攻めの姿勢を失わないことである。専守防衛の考えはなかった。それが実を結んだのが、後半ロスタイムの高橋祥平のファインゴールだ。数的不利を克服し、最後は2点差として熊本の望みを断ち切る。完勝といえる出来だった。
勝利の立役者の1人が、39歳の大ベテランであるGK土肥洋一だ。決定的なピンチに立ちはだかり、健在ぶりを見せつけた。ハイライトは77分、片山奨典のシュートを左手でセーブ。直後、仲間隼斗の強烈なシュートに対し、素早く体を起こしてブロックした。至近距離のシュートセーブに定評があり、ここぞという場面で頼りになる土肥の真骨頂である。
土肥の大活躍をベンチから特別な思いで見る選手がいる。セカンドGKの柴崎貴広である。第23節の松本山雅戦の敗戦(2−3)をきっかけに、柴崎はポジションを失った。
10年間、ピッチ上で勝利を味わったことがなかった
菊池と本並は行動をともにせず、会話らしい会話をしているところさえ柴崎は見た記憶がない。2人の間は常に緊張の糸がピンと張っていた。プロの世界はかくも厳しいものかと思い知った。だが、あるとき柴崎は、練習中に本並のセービングを見ていた菊池が「あのシュートをキャッチするのか……すげえな」とつぶやくのを聞いている。似たような感想を持つことは本並にもあるように思われ、口をきかない間柄であっても互いに実力を認め合っているのだと理解した。
04年、柴崎は出場機会を求め、横浜FCに移籍。05年のオフ、戦力外通告を受け、翌年FC東京に加入。07年、4年ぶりに東京Vに復帰し、現在に至る。2010年までのプロ10年間、柴崎はほぼバックアッパーだった。しかも、過去に出場した公式戦6試合はすべて負けていた。つまり、ピッチ上で勝利を味わったことがなかった。このような歩みの選手を、わたしはほかに知らない。11年の序盤、土肥がアキレスけん断裂の重傷を負い、以降、柴崎は正GKとしてゴールマウスを守り続けてきた。なお、待望の初勝利は同年5月9日のJ2第11節FC岐阜戦で挙げている。
GKコーチの前田隆司は言う。
「シバ(柴崎)のパフォーマンスに難があって、土肥ちゃんに代わったわけやない。あれだけサイズがあって、低いボールに強いGKはなかなかおらんよ。遠いところまで手が伸びるし。監督から指摘があったのは、コーチングの問題。松本戦の2失点目、味方を動かしてピンチを防ぐことができたんやないかと。それは確かに一理あるんですわ。特に今はバウル(土屋征夫)が故障でおらんから、最終ラインの安定により関係してくる。ただ、シバは代えられたことに文句を言ってもええねんけどな。もっと悔しがれという気もするね。声の問題に関しては、それがないから代えられたと考えず、意識を高めて取り組むべき伸びしろととらえてほしい」
GKだけでひとつのチーム
「昨年より自信をつけているように見える。落ち着きがあるね。ただ、ミスをしたとき、芝を足先でいじりながら、なよなよすんなよと(笑)。ンなもん、わりぃわりぃで済ませとけばいいんですよ。ポジション争いは、若いころの感覚とは違うかな。相手をにらみつけて、ギスギスするような感じではない。自分の経験してきたことを伝え、アドバイスもできる。誰を使うかは監督が決めるのだから、出番に備えて全力でトレーニングをする。それだけです」
熊本戦の試合後、柴崎は土肥のプレーについて語った。
「土肥さんの間合いに入った相手は不思議と冷静さを失う。あれが土肥さんのすごさです。ピンチのときは『頼むから止めてくれ!』って思いますよ。控えの選手として、それではいけないのかもしれないけれど、チームが勝たなければ、J1に昇格しなければいけない。自分はそのためにいるのだから」
柴崎の持論(前田GKコーチの持論でもある)は、まずGKだけでひとつのチームである。年末にはGKの忘年会を開催するのが恒例行事となっている。それは彼自身が選び取った生き方のようにも思える。菊池と本並の火の出るようなライバル関係を目の当たりにし、その後、レギュラーを争うことになる高木と柴崎は打ち解けた関係を作った。さまざまな出来事を経験し、いわば「チームスポーツの社会学」を学んだ。単なる世渡り上手とは意味合いが異なる。クラブのために、チームが勝つためにやるべきことをやってきた自負が根底を支えている。