野生児・岸本が挑む五輪 “欲”を持って世界へさらなる飛躍を=陸上

折山淑美

今季好調の岸本「武器は精神面」

岸本は度胸と距離感を自然と身に付けたという野生児だ 【スポーツナビ】

 49秒台で世界へ行っても仕方ないと考えた岸本は、冬期練習で400メートルの金丸祐三(大塚製薬)や200メートルで世界選手権に出場した小林雄一(NTN)と一緒に走るようにした。それまでは金丸と一緒に走る者をジャンケンで決めていたが、自分から「一緒に走らせて下さい」と申し込むようにしたのだ。

 その効果で確実にスピードもアップし、今年5月の静岡国際では48秒88を出した。だが、それでも岸本は満足しなかった。周囲は日本人2年7カ月ぶりの48秒台に沸いたが、岸本は「48秒は出せたけど『(48秒)8台か。まだ遅い』と思って。知っている人からみればまだまだ低いレベルだから。注目されるうれしさはあったけど『ちょっとやめてくれ』という感じでした」と言う。頭の中にはコーチである苅部のベスト記録、48秒34というタイムもあったからだ。

 だがそんな気持ちが、今年の日本選手権でマークした48秒41につながったのだろう。大学へ入ってから初めて、絶好調と口に出せるほどで、「ここで出さなかったらダメだろう」と思うほどの状態だった。スタートから思いきり攻めて、これまで合わなかった5台目のハードルの踏み切りもピタリとあったのも、好記録の要因だ。
「少しでも苅部さんの世代に追いつきたかったので、48秒台前半くらいは出したいなと思っていたんです。でも今年はまず48秒5くらいを出せれば、少し足りないけどいいかなという感じでした。だから正直、48秒41までいったのは少し驚きましたね」

自然に身に付けた距離感の鋭さ

岸本の指導にあたる、元日本記録保持者の苅部俊二。「スピードアップが課題」と語る 【スポーツナビ】

 苅部は、岸本の長所を山崎一彦(95年イエテボリ世界選手権7位)や為末タイプで、ハードリングがうまく、減速しないところだと説明する。だが本人は「自分では他の人とそんなに違っていないと思うし、そう言われてもどううまいのか分からない」と首をひねる。

「技術的なことは全然分からないけれど、どちらかというと自分の武器は精神面だと思っているんです。昔から大会では緊張しないで、いつでも自分の走りができるんです。練習では調子が悪くても、本番になると走りが変わって軽くなったりもするんです」

 そんな度胸の良さに加え、「いつも直感で走っている感じだけれど、ハードルを跳んで着地した瞬間には次のハードルまでの歩数が分かるのも武器かもしれません」ともいう。瞬時に予定した歩数で届くかどうかが分かり、ダメなら歩数を変更できるのだ。

 距離感の鋭さは、小さい頃に身につけた野性的な本能なのか。そう質問すると岸本は、そうかもしれないと答える。
「幼稚園から中学生の頃まではしょっちゅう山に行って、暗くなるまでずっと遊んでいたんです。木に登ったり、木から木に飛び移ったりして。そういう中で自然と距離感も身についたのかもしれませんね」

 大人しそうな顔つきの岸本だが、中学まではまさに野性児だったと笑う。
「五輪は出たいかといえば出たかったけれど、今季一番狙ったのは記録で、五輪はそれほど意識してなかったんです。親からも『縁があったら出られるだろうけど、ダメだったらお前が弱いということだから』と言われて、自分もそう思っていたんです。でも今年は去年と違って一度記録を出してるから、挑戦者として堂々といけると思いますね。48秒41を出したのはもう過去の記録だし、もう一度出さなければ意味はないから。でも、まずは五輪という場を楽しむことが一番ですね。その上で勝負をできたら、最高だと思っているんです」

 初めての五輪は、これまで流れのままにやってきた自分の実力を確かめにいく場だと思っている。もし決勝へいければ自信を持ってもっと上を目指せばいいし、ダメだったら自分は弱かったんだと思ってもう一度4年間で作り直せばいいからと。

課題はスピードアップ

 指導者である苅部はこれからの岸本の課題を、スピードアップだという。「これまで400メートルはまともに走ったことがなくてベストは48秒台だけど、今走れば46秒ちょっとくらいだと思います。それが45秒台になれば、本当に世界を狙えると思う」と。

 岸本も「400メートルはきついからいいです。300メートルまでで」と苦笑する。だが「まだ専門的な知識が全然ないから400メートルとハードルは別の競技としか考えられないけど、将来的にはいつも45秒台中盤では走る金丸さんより、ちょっと遅いだけくらいの走力は欲しいですね。欲ではないけど、これくらいいけたらこうなるだろうな、というのは少しずつ考えられるようになりましたから。だから五輪では、少なくとも来年の原動力になるようなものは得たいですね。そうじゃないと、来年は間違いなくつぶれてしまいますから」

 まだ競技者というより自然児のような雰囲気も持っている岸本だが、冷静に考えるところはしっかりと押さえている。そんな彼にとってロンドン五輪は、もう一段上へと飛躍するための、貴重な経験の場になるに違いない。

<了>

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著者プロフィール

1953年1月26日長野県生まれ。神奈川大学工学部卒業後、『週刊プレイボーイ』『月刊プレイボーイ』『Number』『Sportiva』ほかで活躍中の「アマチュアスポーツ」専門ライター。著書『誰よりも遠くへ―原田雅彦と男達の熱き闘い―』(集英社)『高橋尚子 金メダルへの絆』(構成/日本文芸社)『船木和喜をK点まで運んだ3つの風』(学習研究社)『眠らないウサギ―井上康生の柔道一直線!』(創美社)『末続慎吾×高野進--栄光への助走 日本人でも世界と戦える! 』(集英社)『泳げ!北島ッ 金メダルまでの軌跡』(太田出版)ほか多数。

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